「笑えてしまう感じ」が占いの意義
でもあとになって、ふと気づいたのです。あのカード、これだったのか、と。なにが対応していたのかというと、文字通りですが、「蛇」はホースですよね。そして「ネズミ」はかじる存在。実際にネズミがかじったわけではないにしても、ホースに入った亀裂というのは、イメージとしてはまさにそれに近い。つまり、「あのカードはこの出来事を指していたんだ」と。
ただ、こういう当たり方は、まったく予言としては役に立ちません。事前にそれを防げるわけでもないし、「そう来たか」という感じで、あとからわかるだけ。ほとんど大喜利みたいな当たり方をしてくる。
でも、だからといって無意味かというと、そうでもなくて、実際に起きているちょっとした災難や、やや悲劇的な出来事を、どこかで少し笑えるものに変えてくれる。そんな役割はある気がします。
実はその「笑えてしまう感じ」こそが、占いの意義なのではないかと思うわけです。なにかトラブルが起きると、人はどうしてもそれを重く受け止めてしまうし、自分の問題として抱え込んでしまう。でもあとから「ああ、あのカード、これだったのか」と気づいて、しかもそれが妙に的確でもあると、思わず笑ってしまう。その瞬間、出来事と自分との間に距離が少しだけ生まれます。
出来事そのものは変わらないけれど、それを眺める位置が変わる。占いとは、そうやって物事を少し引いて見て「笑える」ようにするための営みだといえるでしょう。
より「深遠な当たり方」
そしてもうひとつは、より深遠な当たり方です。より無意識的・象徴的な当たり方といってもよいかもしれません。
ここ最近でとくに印象に残っているのは、臨床心理学者の東畑開人さんとの対談のときに出たカードです。今をときめく心理学者の東畑さんと対談するという素晴らしい機会を得て、彼と一緒にカードを引きました。ちなみにこの対談は『昼間のスターゲイザー 占いと心理学の対話』(集英社、2026年)という本になっています。
その際、一番インパクトのある位置に「教皇」のカードが出ました。教皇は宗教的、あるいは思想的な指導者や権威者を表します。よき導き手でもあるけれど、カードを見るとその膝元に屈している位の低い聖職者もいる。「教皇」は若き東畑さんがこれまで仰ぎ見ていた歴史上の偉大な心理学者や思想家かもしれないし、または直接的な指導者たちであるかもしれない。

