いつの世もカネはあるところにはある
“CULTURAL RECREATION CENTER”
完成したレンガビル正面に据え付けられた英語のロゴを見て、喜八郎は唖然とした。
ついこのあいだまで、敵国語の言葉を使えば非国民扱いされたのに、進駐軍がやってくるなり豹変する西井の変わり身の早さに感心するやら、あきれるやらである。
「カルチュラル・レクリエーション・センター」
誰もが生きていくことに必死であった時代、西井の目線はまったく異なるところに向いていた。なんとそのビルで、著名な画家やアーティストの作品を展示したのである。もちろん、ただ展示するだけではなく、その美術品を売って販売手数料をとったり、オークションを開催したりもした。
敗戦によって、それまで神戸にあったすべてが消えてしまったわけではない。むしろそこには戦時中に抑圧されていた飢餓感が、一気に溢れ出していた。戦争には“役にも立たなかった”芸術はその典型だ。
人々は食料だけに飢えていたわけではないこと、そして、どんな時代にもカネはあるところにはあるということを、西井は本能的に嗅ぎ取っていた。
無から有を生みだす商売勘に驚嘆
西井の思惑どおり、カルチュラル・レクリエーション・センターには芸術家たちが集まるようになり、それにつられるように神戸の文化人も出入りするようになった。
西井がどんな伝手をたどったのか、喜八郎には皆目わからなかったが、兵庫県知事の岸田幸雄や神戸市長の小寺謙吉までが顔を出し、神戸政財界の社交場となっていったのだ。
〈レンガ集めを始めたときから、西井はこの成功を思い描いていたのだろうか〉
不法に土地を占拠したことはさておき、焼け野原と化した三宮で、無から有を生み出してそれを大きなビジネスにつなげた西井の商売勘に、喜八郎は驚嘆した。
一方で、このカルチュラル・レクリエーション・センターが完成する直前、喜八郎の運命を大きく変える出来事があった。
ある日、鬼塚清市宛てに届いた一通の公報には、こう記されていた。

