いじめ問題に潜む『羅生門』状態を鮮やかに暴くミステリー

朝比奈あすかは、過熱する中学受験の現実に切り込んだ『翼の翼』(光文社)をはじめ、学校と子供と親とを取り巻く家族小説の名手として知られている。

本書『普通の子』の素材も、小学校の「いじめ」問題だ。帯にこうある。「成績は平均的。口答えもそれほどしない。ごくごく普通のわが子が教室のベランダから飛び降りた」。

『普通の子』朝比奈あすか 著
『普通の子』朝比奈あすか 著 角川書店/本体価格1700円+税

が、読後、最初に連想したのは、黒澤明の映画『羅生門』である。そして、アガサ・クリスティのミステリーだ。しかも、本書はある意味で『羅生門』よりアガサのミステリーより怖い。なぜならば、設定となるのはどこにでもある公立小学校のクラスの子供たちであり、親子3人の家庭であり、共働きの夫婦だからである。誰もがこのミステリーの登場人物になりえるのだ。

主人公、佐久間美保は、セキュリティサービス会社の営業所に勤めている。自社サービスを顧客に営業して契約をとる外回りの仕事だ。夫は同じ会社の夜勤の多い別部署に勤めている。自宅は地下鉄駅に近い、都内にある狭小住宅。そして一人息子の晴翔は小学5年生。フランチャイズの学習塾に週2回通う、典型的な東京の子供だ。美保は現在の仕事に満足していない。苛立っている。そんな最中、彼女は息子のシグナルに気づく。朝、登校を躊躇する。親に黙って欠席する。翌日、晴翔は教室のベランダから転落する。

いじめ? 誰にやられたのか? 疑念は膨らんでいく。美保の脳裏に遠い昔の記憶が蘇る。晴翔と同じ小学5年のとき、クラスで深刻な「いじめ」に巻き込まれたことを。

児童教育の本は多数出ている。ウェブ記事もたくさんある。中高一貫私立校を薦める人も、公立校の多様な環境を薦める人も、いっそ海外での学びを薦める人もいる。それぞれの意見に賛同する人がいて、拒絶する人がいる。

すべて正しくすべて間違っている。子供の教育がうまくいったかどうかは個別具体的で結果論の要素が大きいからだ。だから、親は自分の「物語」を当てはめて、子供の未来を見る。正否も善悪も、あくまで自分の「物語」に乗せてしか、判断できなくなる。

「いじめ」問題には、加害者と被害者とが必ず存在する。ただし、かつていじめの被害者だったという人は多いが、いじめの加害者と自覚している人は相対的に少ない。その人の物語では、自分はいじめた側でないからだ。いじめ問題を掘り下げると、誰が真実を話しているかわからなくなる。『羅生門』状態だ。

本書は、非常に重いテーマに正面から向き合いながら、「いじめ」問題に潜むこの状態をミステリーの手法で鮮やかに暴いていく。読み終えると、もう一度冒頭から読み返したくなるはずだ。一文一文に仕掛けがあったことに気づくから。

柳瀬博一(やなせ・ひろいち)
東京科学大学リベラルアーツ研究教育院教授
1964年、静岡県生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、日経マグロウヒル社(現・日経BP)に入社。「日経ビジネス」記者、単行本の編集などを経て、2018年より現職。著書に『国道16号線「日本」を創った道』『カワセミ都市トーキョー』、近著に『アンパンマンと日本人』(新潮新書)がある。

※本稿は、雑誌『プレジデント』(2025年3月21日号)の一部を再編集したものです。

(イラストレーション=保光敏将)

検索時にプレジデントオンラインに関連する記事が表示されます

【関連記事】
「集団の一員でありたい」という本能が人類の存続を脅かす…デイヴィッド・サムソン『分断と排除の人類史 暴走するトライバリズム』
「偶然に出会う」かけがえのなさを感じさせてくれる2冊…『急に具合が悪くなる』『イワナとヤマメ 渓魚の生態と釣り』
何でも差別のせいにする議論に対し、黒人の論客が果敢に挑む…トマス・ソウェル著、村井章子訳『差別と格差の経済学』
産業革命以降の人間の営みは地球の地盤まで変えたのか…加三千宣『私たちは人新世に生きているのか 地層が語る真実』
AI時代を生き抜くための「視力」「聴力」を鍛える…小川哲『言語化するための小説思考』