基地運動へのつぶやきに28万人の「いいね」
たとえば辺野古をめぐる騒動のきっかけとなったのは、米軍基地建設反対運動の現場で、「座り込み抗議が誰も居なかったので、0日にした方がよくない?」とひろゆきがツイートしたことだった。彼がそうした行動に出たのは、リベラル派の「弱者リスト」に含まれる戦争被害者としての沖縄の人々が、運動するポーズを振りかざしているだけの「偽の弱者」にすぎないという見解を示したかったからだろう。
その後、リベラル派との間で論戦が繰り広げられ、さまざまな事実を突き付けられたにもかかわらず、彼は断固として態度を変えようとしなかった。彼がそうした行動を取ったのは、特定の「弱者の論理」を押し通そうとするリベラル派の「強者の論理」に、あくまでも対抗するという姿勢を示したかったからだろう。
それらの行動はいずれも、彼に「いいね」を贈った28万人もの「真の弱者」の階級闘争が、その背後に存在することを意識してのものだったのではないだろうか。
ひろゆきのこうした振る舞い方は、弱者の味方をして権威に反発することで喝采を得ようとするという点で、多分にポピュリズム的な性格を持つものだ。しかもリベラル派のマスメディアや知識人など、とりわけ知的権威と見なされている立場に強く反発するという点で、ポピュリズムに特有の、反知性主義的な傾向を持つものでもあると言えるだろう。
権威を「情弱」とみなす独特の優越感
実際、彼のライフハックはその自己改造論にしても社会批判論にしても、自己や社会の複雑さに十分に目を向けることのない、安直で大雑把なものであり、知的な丁寧さからはかけ離れたものだ。
しかしその支持者には、彼はむしろ知的な人物として捉えられているのではないだろうか。というのも彼の反知性主義は、知性に対して反知性をぶつけようとするものではなく、従来の知性に対して新種の知性、すなわちプログラミング思考をぶつけようとするものだからだ。
そこではとりわけ歴史性や文脈性を重んじようとする従来の人文知に対して、手っ取り早い情報知がぶつけられる。ネットでの手軽なコミュニケーションを介した情報収集能力、情報処理能力、情報操作能力ばかりが重視され、情報の扱いに長けた者であることが強調される。
そうして彼は自らを、いわば「情報強者」として誇示する一方で、旧来の権威を「情報弱者」、いわゆる「情弱」であるかのように位置付ける。その結果、斜め下から権威に切り込むような挑戦者としての姿勢とともに、斜め上からそれを見下すような、独特の優越感に満ちた態度が示され、それが彼の支持者をさらに熱狂させることになる。
このように彼のポピュリズムは、「情報強者」という立場を織り込むことで従来のヒエラルヒーを転倒させ、支持者の喝采を調達することに成功していると言えるだろう。しかしそうしたやり方は、その支持者を増長させ、ともすればポピュリズムの危険性を増幅させかねないものなのではないだろうか。



