朝ドラ「風、薫る」(NHK)では、りん(見上愛)とシマケンこと島田(佐野晶哉)の結婚は実現しなかったが、りんのモチーフ・大関和はどうだったのか。ライターの平山亜佐子さんは「シマケンのモチーフと思われる社会活動家との結婚は破談になったが、その後にも別の男性との再婚話が持ち上がった」という――。

木下尚江との破局後、縁談があった

NHK連続テレビ小説「風、薫る」のヒロインのモチーフとなった大関和は、明治から昭和初期にかけ看護婦の先駆者として輝かしい経歴を残す一方、家庭面ではいくつかの「叶わなかったこと」があった。

新潟の知命堂病院に勤めていたころの大関和(右)、瀬尾院長夫人と
画像提供=医療法人知命堂病院
新潟の知命堂病院に勤めていたころの大関和(右)、瀬尾院長夫人と

19歳で嫁いだ結婚は数年で破れ、再婚話は二度も立ち消えとなった。授かった二人の子も、息子は33歳、娘は20歳で世を去っている。

ここでは、1898(明治31)年ごろに持ち上がりながら実現しなかった二度目の再婚話と、その2年後、1900(明治33)年に迎えた娘・しんの死について見つめなおしてみよう。

最初の結婚が破れて以来、二児を実母に預け、仕事にまい進していた和は、1898(明治31)年頃、社会運動家・木下尚江と恋愛関係に陥る。しかし周囲の反対であえなく断念。それから時をたずしてもう一つの縁談が持ち上がったといわれている。相手が誰で、どのような経緯で話が来たのかは史料に残っていない。わかっているのは、これも周囲の反対によって立ち消えになったことと、和自身の抗議だけである。

「どうか、どうか私の希望を邪魔しないで下さいまし、後生一生のお願い、この通りです」

畳をたたき、涙を流してそう訴えたという逸話が伝わる。

泣いて「結婚したい」と訴えたが…

当時の和は40歳(数え年であれば、もう少し上の可能性も)。最初の結婚では夫の女性関係に苦しめられ、木下尚江との縁談も叶わず、この再婚話までもが周囲によって退けられるとは、よくよく結婚に恵まれない和である。

そもそも、木下尚江との話は、ふたりの知人で新宿中村屋の主人である相馬愛蔵に反対された。和が10も歳上であることと尚江の女性関係が理由だった。矯風会で廃娼運動をしている和に、女郎と同棲していたといわれる尚江はふさわしくないと思われたのだ。

そして二度目の反対者は牧師の島貫兵太夫。相手が誰かわからないため反対理由もわからないが、あまりに激しい和の抗議に、「どうしてこの人はこうなのか」と弱り切ったとは島貫の弁。もちろん和を思っての反対だから、当時のいわゆる「常識」に反するような縁談だったのだろう。直情的で純粋な和の突っ走り具合に、ほとほと困ったようだ。