帰省「ごっこ」という打開策
こう書いてくると、ますます「帰省」への忌避感を増長させてしまいかねない。宗教学者の島田裕巳氏が「プレジデントオンライン」で述べたように、「今や、故郷を捨てることに戸惑いを覚える人間はいなくなった。人生がうまくいかなくなって戻ってきた人間を、温かく迎えてくれる故郷自体がなくなった。社会は根本から大きく変わった」と捉えるべきなのだろう。
それでも、いや、それゆえにこそ、あらためて「帰省」の意味を問い直しては、どうか。
遠くにせよ、近くにせよ、親にとっても、子にとっても、祖父母が自分たちのルーツであるところは変わらない。帰るにせよ、帰らないにせよ、そして、良くも悪くも、お盆が「帰省」と結びつくのは、少なくとも当面は変わらない。
「帰省」の中身が変わりつつある社会において、たとえば、あえて「帰省」を旅行と同じイベントと捉えて、帰る側も迎える側も、どちらも、「ごっこ」のように役割を演じてみる。あえて旅行イベントのように演出するのである。「帰省」という義務ではなく、イベントとして楽しむことにより、自分たちのつながりを見つめ直す貴重な機会にする。そうした別の切り口から、「孫疲れ」の打開策を見つけられるのではないか。
「孫疲れ」は、家族関係の悪化を意味するわけではない。むしろ、それぞれが無理なく付き合う方法を探さなければならなくなった時代の変化を映している。

