長い歴史をもつお木曳行事
同日午後には、いよいよお木曳行事に臨まれた。
お木曳は新宮に使われるご用材を宮域に運び込む大がかりな行事だ。そのような作業工程自体は、もちろん式年遷宮のおこりと共に始まっている。
しかし、それが単なる運搬作業でなく、めでたくにぎやかな“特別の行事”という性格を持ってくるのは、少し時代がくだるようだ。
史料によって確認できるのは、第40回(1462年)に向けて準備が進む中でのことだった(『寛正三年造内宮記』)。ただし、当時の記録に「例にまかせて(これまでの例のとおりに)」とあるので、これ以前からすでに恒例化していたと見られる。
現在、お木曳は、もと「神領」=神宮の領地とされていた地元の人々が多数参加し、はっぴ姿でご用材を運ぶ白い綱を「エンヤ、エンヤ」という独特の掛け声とともに曳く。地元以外の人にも参加の機会があり、私自身も第61回(平成5年[1993年])をひかえたお木曳に、「一日神領民」(今は特別神領民という)として加わった。よそ者の私でも、沸き立つような高揚感を覚えた。
愛子さま「神の御柱曳き給う」
外宮のご用材を陸上から運び込む「陸曳」に対して、内宮は近くを流れる五十鈴川の流れを利用して運び込むので「川曳」と呼ぶ。
その川曳の様子をご覧になるために、敬宮殿下がわざわざお出ましになった。それが地元の人たちにとって、よほど嬉しいことだったらしい。
敬宮殿下が川岸の仮設テントから、川の中でご用材を曳く人々の姿を眺めておられると、趣向をこらした一幕があった。木を動かし始める合図として歌われる「木遣り唄」に、敬宮殿下を歓迎する気持ちを表わす特別な歌詞が盛り込まれたのだ。
「敬宮さま 二十歳ごとの 神の御柱 曳き給う」と。
敬宮殿下は地元の人たちの心づかいにとても喜ばれたという。歌詞の言葉の選択も、一般的な「愛子さま」(ご本名)でなく、「敬宮さま」(直系だけのご称号)としたあたりも、神宮が鎮座する伊勢の地らしく、奥ゆかしい。
地元の人びとと綱を握った愛子さま
敬宮殿下は木遣り唄に「曳き給う(お曳きになる)」と歌われたとおり、実際にご用材を内宮の参道に運び込む時、お召しの白い長袖のジャケットを脱いではっぴを身につけ、綱を曳く人々の列に加わられた。靴は足を踏ん張れるようにヒールのついていないフラットシューズに履き替え、地元の人びとと共に綱を握られ、掛け声に合わせて力強く曳かれた。
敬宮殿下が形だけでなく、本気で綱を曳かれたことに驚いた人もいたようだ。しかし、いかにも敬宮殿下らしい真摯さ、と言うべきだろう。



