知事とのパイプをつくるしたたかさ

行革の最中に行われた1983年の県議選挙では、故郷の筑後市選挙区から無所属で立候補。当時の現職に敗れたものの義父の秘書に復帰し力を蓄えた。1987年の2度目の挑戦では、自民党系の支援団体はもとより革新系団体からも幅広い支持を得て当選した。行革での実績を考えれば、当然の結果だったと言える。

街頭演説を行う選挙候補者のイメージ
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県議になってもこの力は生きた。当時の福岡県は革新派の奥田八二氏が県知事だった。1983年に当選した奥田氏は県民からの人気をバックに、1991年には3選をはたした。自民党は議会内野党として苦い野党生活が続いていた。こうした状況のなかで藏内氏は革新系政治家とのつながりを生かして、奥田知事と自民党県議団のパイプ役に徹したのである。

当時の自民党県議団には、いまの藏内氏にあたるボスがいた。三木清元県議だ。藏内氏は三木氏からの信頼が厚く、県職員からも頼りにされる存在となった。