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当事者として学校とともに考え、課題解決の道を探るべき
まずは沖縄・辺野古沖での平和学習中の事故、そして部活の遠征中の事故で亡くなられた生徒さんたちに、心からの哀悼の意を表します。ご家族の無念を思うと、かけるべき言葉が見つかりません。
教室外での課外活動も、子供たちの心身にとって大切な成長の機会。だからこそ、その安全には最大の配慮が求められるし、そのような場での痛ましい事故に、「学校教育活動での安全は本当に確保されているのか」と不安になる保護者の気持ちも理解できます。
人が集まる場所にトラブルはつきもので、どれだけ対策をしても事故の可能性はなくなりません。とはいえ今回の2つの事故現場では、事前準備の怠りや、教員の同乗がなかったことなど、安全対策面でもう少しできることがあったのではないかと考えると無念です。
実は僕も少し前に、テレビ番組のロケで海に漂う小舟に乗るよう言われたことがありました。でも僕は断りました。100%安全とは言い切れない状況なので、自分の身を守る判断を優先したわけです。
ただ、それができたのは僕が大人で、しかもある程度の意思表示をできる立場にいたからです。もし僕が中学生や高校生で、周囲には部活の仲間しかいなかったとしたら……、そうきっぱりとは断れなかったかもしれません。
部活の遠征中に起きた磐越道のマイクロバス事故では、生徒たちは運転の危うさに早くから不安の声を上げていたと聞きます。もしそこに顧問の先生なり大人が同乗していたら、異変に気付いて運転をやめさせることもできたでしょう。辺野古の事故でも、転覆した「抗議船」に先生は同乗していなかった。2つの事故の背景には、共通してそういう学校側の不手際があったことは事実だと思います。
ただ、その一方で、学校教育活動における安全性について、保護者の側も考え方を変える時期に来ているのかもしれません。もちろん今回の辺野古の事故においては学校の安全管理が杜ず撰さんすぎて、ここに保護者の責任はありませんが、今後学校の安全管理を高めるためには保護者の一定の関与も必要になってくると思うのです。
というのも、昨今、自然や社会環境が大きく変わってきています。これまでは問題なく行えていた戸外の部活やプール授業が猛暑のため危険な行為になってしまったり、恒例の山登り行事が熊の出没で危うくなったり、伝統の課外活動がバスの運転手不足で存続の危機を迎えたり……。今、多くの学校現場で、「これまで通り」が通用しなくなっています。そんな現場で、「先生に任せておけば大丈夫」は、通用するでしょうか。
振り返ると、僕たちの親世代は、「先生がおっしゃるなら」と教員を聖職視する傾向がありました。「大学を出た先生に判断を任せておけば安心」、また「余計な口出しをするのは失礼」。そんな空気感もあったでしょう。結果として、「学校任せ」「教員任せ」の風潮ができてしまった。
でも現代は違います。親たちの教育レベルが上がるとともに、教員を聖職視する風潮は薄れ、むしろ平気で文句を言うようになりました。そこで考えるべきなのは、教員は教科を教えるプロであって、安全管理のプロではなく、課外活動のコーディネーターでもないということです。つまり「学校に任せておけば安心」という常識も、見直さなくてはいけないのです。
わが家には7人の子供がいます。熱心な読者はもうご存じだと思いますが、僕は子育てをほとんど妻任せにしてきましたから、7人が無事に成長できたのはまさしく妻のおかげ。実は子供たちの「学校における安全」にも妻はかなり積極的に関わってきました。
熱中症が社会問題化する前から、真夏日の部活について学校に問い合わせをしたり、落雷事故が話題になる前から、天候不順日の行事の安全性について確認したり……。「組体操」の危険性や、登山行事での安全対策についても、しょっちゅう学校と意見を交わしていました。
単にクレームをつけるだけなら、迷惑なモンスターペアレントかもしれません。でも妻の場合は、学校との話し合いで「この状況で行事を実施して本当に大丈夫か」を確認し、懸念される場合には最善の対策を協議し、時には子供の参加を見送らせることもあったようです。こうした話し合いから、いくつかの行事の危険性が明らかになり、行事そのものの見直しが実現したこともあると聞いています。
ちなみに子供たちが成長した今、妻の関心はもっぱら飼い犬のテンちゃんに向いています。あるとき僕が歯磨き粉のチューブを出しっぱなしにしたら、「テンちゃんが口にしたらどうするの!」と、えらく叱られました。歯磨き粉に含まれるキシリトールは、犬にとっては毒なんだそうです。「わずかな油断がテンちゃんの命に関わるんだからね」とお説教されると、もちろん反論なんかできません……。
子供を守るため保護者側もコストを
実際、僕自身この連載のなかで「ハインリッヒの法則」の話をしてきました。一つの重大事故の背後には数百もの「ヒヤリ・ハット」が潜んでいると。おそらくそれは組織論に限らず、家庭や学校にも共通のものなのでしょう。多くの不安や心配は杞憂に終わる。でも、100分の1、いや1000分の1程度の確率であっても、その杞憂は「現実」に変わりうる。
だからこそ親は些細な違和感や小さな不安を軽視せず、学校運営にもきちんと関わっていくべきなんです。かけがえのない子供を守るため、親の側もそれなりのコストを払わなくてはいけないということだと思います。
そのために活用したいのがPTAなどの組織です。昨今はPTA活動が不人気で、消滅した学校もあるようです。しかしPTAの本来の役割は、保護者と教員が学校運営に当たり助け合うこと。学校側も自分たちだけですべてを担おうとするのではなく、マンパワーや力不足を素直に認めて、保護者の力を借りるべき。まずはPTAの場で、学校行事の安全性について協議することが大事でしょう。
ここからは知事・市長を経験した僕からのアドバイスですが、もし、PTAの場で議論しても学校が動かないとしたら、教育委員会に通報してください。教育委員会では話が通じないとしたら、役所の知事・市長部局、例えば市民局の相談窓口に、また私学の場合ならば私学課にも声を届けてほしいと思います。
モンスターペアレントだと思われたらどうしよう……。そんな遠慮をしているうちに、事故が起き、大切な命が失われたら取り返しがつきません。
声を上げることは民主主義の基本です。その意味では、政治も学校も似ています。「先生(政治家)が何とかしてくれる」という“お客様化”ではなく、自分たちもともに考え、課題解決の道を探る当事者意識を持つこと。
誰かに課題を丸投げする時代は終わりました。子供たちの安全を守るために、親も教員もなく大人が一緒に考え、一緒に動く。不幸にも今年起きてしまった2つの事故は、その現実を僕らに突きつけているように思います。



