老後は、こう生きなければならない――。思い込みを手放し、老いを楽しむ3人がいる。捨てるものと抱えておくものの境界とは。

仕事はしょせん生活の手段本業は暇を生きること

「ひとり時間に没頭する」というテーマをもらったときに思ったのは、「そうか、今の時代はひとりで過ごすことすら、わざわざ流儀やスキルとして学ばなければならないのか」ということです。なんせ私はずっとフリーランスですから、人生に会社員のような明確な「区切り」がありません。小学校の時の生活のまま、定年という概念もなく、そのままズルズルと延長戦を戦っているようなものです。

ですから、定年を迎えていきなり暇になり、途方に暮れてしまうという世間の悩みを耳にすると、私はいつも「元凶は、仕事こそが人生の本業だという思い込みにあるんじゃないか」と思うんです。人間にとっての本当の本業とは、日々の生活を営むこと、すなわち「生きること」そのものです。仕事なんて、その中のほんの一部、生活の手段にすぎません。せっかく退職して膨大な時間が手に入ったのなら、それを「やることがない不幸な暇」と捉えるのではなく、終わりのない贅沢な「休暇」が始まったと考えればいいんじゃないかと。

みうらじゅんさん
みうらじゅん Jun Miura
イラストレーター、エッセイスト、ミュージシャン。1958年、京都市生まれ。武蔵野美術大学在学中に漫画家デビュー。97年、造語「マイブーム」が新語・流行語大賞受賞語に。『アウト老のすすめ』(文藝春秋)、『ブツゾー・キッド』(淡交社)など、多数の著書がある。

私がよく行くエロ本屋にはどっこい平日の真っ昼間からシニア層が溢れていますし、映画館に行けばマカロニウエスタンのリバイバル上映を同世代の男たちが食い入るように観ている。やることがちゃんとあるんです。ただ、悩みをブツブツ言っている一部の人が、メディアで目立っているだけなのでは?

では、なぜ定年で家に戻った途端に、休暇を愛せず、暇が潰せなくなってしまう人がいるのか。原因は、会社員時代に培ってしまった自意識としがらみじゃないでしょうか? ここで私がビジネスパーソンに提唱したいのが、親兄弟、過去の自分、そして他人とは絶対に比べないという「比較三原則」です。

特に会社員時代にいい役職に就いていた人ほど、定年後にそのプライドを家庭や地域社会に持ち込んでしまう傾向があるのでは? 退職してなお、周囲に対して権力を振るおうとしたり、下に見られたくないと身構えたりする存在を、私は「権威・濃すぎケンイ・コスギ」と呼んでいます。そんな精神状態のまま家に居座ると、煙たがられてしまうでしょう。

外で通用していた肩書なんて、ひとり時間を豊かにすることにおいては何の役にも立ちませんし、世間が決めた「普通」というルールにしがみついていると、新しい時間を生きられないと思います。「みんな違って、みんな変」。自分も他人も初めから変な存在なのだと気がつくことができれば、ずいぶんと生きやすくなるはず。まずはその普通という概念を手放すことが、豊かなひとり時間を迎えるための前提条件となります。

趣味は、コスパやタイパが悪いものであるほど、長続きします

ここから空いた時間を埋めるための趣味をどう見つけるか、という問題に移ります。ふわっと「ゴルフでも始めようか」などと既成のルールがある趣味に手を出すと、他人の目にぶつかって息苦しくなるかもしれません。そうではなく、他人の優劣や比較が一切存在しない、周りから「どうかしている」と呆れられるような領域なら安心ですよ。そのときに「つまらない」とすぐに投げ出すのではなく、「そこがいいんじゃない!」という魔法の言葉を自分自身に投げかける。趣味の世界においては、コスパやタイパが悪いものであるほど、長続きするものです。

そして趣味の価値を高めるためには、店で少しでも気になったものがあれば、値札を見ずに即座にレジへ走る「レジスタンス運動」をお勧めします。私自身、かつて70万円を投じてお迎えしたラブドールには、事務所で秘書として鎮座してもらっていますし、50年近く続いている「エロスクラップ」は、スクラップ帳が900冊近くに達しています。

エロスクラップ集めは47年目に突入。みうらじゅんさんは「もしエロにギネスがあれば絶対載る(笑)」と自信ありげに話す。
エロスクラップ集めは47年目に突入。みうらじゅんさんは「もしエロにギネスがあれば絶対載る(笑)」と自信ありげに話す。

なぜそんなことをするのか。人間には「これだけの大金を出したのだから、どうにかして元を取りたい」という貧乏根性があると思うからです。この貧乏根性をあえて武器にすることで、対象を何としてでも好きになろうという強い執念が生まれます。ただ、還暦を過ぎた大人が昼間からそんな作業をしていると、ふと「俺は一体何をしているんだ」という猛烈な罪悪感に襲われる瞬間があります。

表現者や何かを創り出す人の心に必ず潜む、この「こんなことやってて本当に大丈夫なのか?」という葛藤を、私は「後ろメタファー」と名付けました。しかし、この後ろメタファーがある種の日陰の活動だからこそ、誰にも発表できない秘密の熱量として、ひとり時間が劇的に燃え上がるのです。

(構成=東田俊介 写真=本人提供)