生まれたときから介助が欠かせない生活を送る、東京大学教授で小児科医の熊谷晋一郎さん。「頼ることは切実なテーマ」という半生をたどりながら、老後をひとりで生きるヒントを聞いた。

お気に入りの介助者をつくってはいけない

自立とは、依存先を増やすこと。私はそう考えます。自立したければ、まず「頼り先の数」を増やすことが大切です。依存先が一つだと、失ったときに生きていけなくなるからです。

熊谷晋一郎
熊谷晋一郎(Shinichiro Kumagaya)
1977年、山口県生まれ。東京大学先端科学技術研究センター教授。新生児仮死の後遺症で脳性麻痺に。東京大学医学部医学科卒業後、千葉西総合病院小児科での勤務や東京大学大学院医学系研究科博士課程での研究生活を経て、現職。専門は小児科学、当事者研究。

幼少期、私の24時間の介助を担うのは、家事も育児も抱えた母ほぼ一人でした。母の手が空いた隙にトイレを頼むなど、生理的欲求まで母の都合で調整することが、自然と身につきました。生活の主導権は、いつも介助者の側にあったのです。しかも、痛いリハビリに逆らいたくても、母のケアなしには生きられないので、結局は従うしかありません。根本では逆らいきれないという屈辱もあり、支配される関係性を感じていました。

私が反抗期の頃には、母の負担も重くなる一方で、2人の間にはいつも緊迫感がありました。この緊迫は「母だから」ではなく「介助者がほかにいないから」生まれると気づいたのは17、18歳の頃です。

大学進学を機に、親の心配を押し切って一人暮らしを始めました。背中を押したのは、大勢の介助者に囲まれ、自立して暮らす先輩障がい者の存在です。先輩は助言を2つくれました。一つは「介助者を増やせ、30人以上だ」。たった一人に頼れば、逆らえない関係になり、その人に支配される。支配されないためには、質じゃない、数が必要だと。もう一つが「お気に入りをつくるな」。阿吽の呼吸で介助してくれる人をお気に入りにすれば、結局その人に支配される。「親」が一人増えるだけだ、と。

思えば、私と母の関係は特別な話ではありません。日本では、体が動かなくなると家族に頼る観念が根強い。けれど、家族だけでケアを担えば、あの頃の私たちのように互いに追い詰められます。だから、家族を頼るのはなるべく避けて、もっと広い範囲で介助を考えたほうがよいでしょう。

一人だけに頼れば、支配される。それは自立とは言えません。支配されず、自分で選ぶためには、数がいる。「自立とは、依存先を増やすこと」の背景には、そういう経験があります。

もっとも、依存先を増やせと言われても、すぐにはできません。頼るにも練習がいるからです。長年刷り込まれてきた「人様に迷惑をかけてはいけない」という価値観は、簡単には手放せません。明日から介助者が来るとなれば、多くの人は「部屋を掃除しなきゃ」と思うでしょう。自分のお茶を淹れるのも大変なのに、介助者にお茶を出してしまう人もいるはずです。だからこそ、早いうちから「素直に頼る練習」を始めたほうがいいのです。

もっとも依存しているのは実は現役世代である

ただ、頼ることの難しさは、それだけではありません。頼るとは、信用できるかわからない相手に裸の自分をさらす「賭け」だからです。そこは「えいや」と信じるしかありません。けれど実際に頼ってみると、案外人は手を貸してくれるものです。そう楽観できるようになるにも、練習が必要です。

一人暮らしを始めるとき、先輩は「依存先は質じゃない、数だ」と教えてくれました。しかし後年、共同研究を通して、この考えは修正されます。アルコール依存症や薬物依存症からの回復を目指す仲間から教わった、依存先を4つに整理する考えが目から鱗でした。

友人などとの「水平」な人間関係のほかに「自分磨き」「物質」「垂直」な人間関係の依存先があります。垂直には、お金を介して介助を受ける「必要な垂直」と、人から搾取したりされたりするような「危うい垂直」があります。大切なのは、この4つのバランスです。依存症になる人の多くは虐待などのトラウマで人を信用できず、「水平」を失い、依存先が残る3つへ偏ってしまうそうです。

(構成=村松まりこ 撮影=藤中一平)