軍勢が整うのを待っていた
いきなり九州まで進出というのは、いささか大げさだが信長も、備中高松城での戦いを毛利を完全に屈服させるよい機会と考えていたのは確かであろう。すぐに明智光秀のほか、池田恒興や高山右近などにも出陣の命令が下っている。
信長は好機とみているが、信長の動きには意外に時間がかかっている。安土城を出発したのは5月29日の早朝のことである。
信長の上洛を知った公家らは出迎えにいくが、迎えは無用であるとの返事を受けて公家らが引き返したと吉田神社(京都市左京区)の神官・吉田兼見の『兼見卿記』には記されている。
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