先輩たちからの「バラバラのアドバイス」

労働省は、村木さんの「どんなことがあっても仕事を続ける」という決意を強力にサポートしてくれる組織だった。1947年に創設されているが、諸官庁の中で女性の地位向上を担うのは専ら労働省という位置づけだったそうだ。

「ですから、私が入った時にはすでに女性の局長がいたし、森山眞弓さん、赤松良子さん、松原亘子さん、岩田喜美枝さんなんていう錚々たる先輩たちがいました。子育て経験がある女性が多くいる環境だったので、女性が子どもを育てながら働くことをとても応援してくれました」

後輩の女性が昇進、転勤、出産といった事態に直面すると、数人の先輩たちが食事会を開いて、それぞれの経験から「バラバラのアドバイス」をくれるのが恒例だった。

「完璧な母親になれなんて言う先輩はひとりもいなくて、人間ホコリじゃ死なないわよって(笑)。保育の専門学校に保育のバイト募集の貼り紙を出してシフトを組んでもらったとか、保育ママを頼んだとか、個別具体的な知恵をいただけたのがありがたかったですね」

29歳で出産、31歳で「子連れ単身赴任」

先輩たちの強力なサポートもあって、村木さんは29歳で長女を出産。産後わずか6週間で職場復帰をしている。31歳の時には、島根労働基準局に「空前絶後」と言われた子連れ単身赴任を敢行することになる。

「夫とは同期入省の友だちみたいな間柄で、同じように働いているんだから家事も同じようにやろうという考え方の人。同期の夫もおそらく同じような時期に転勤になるだろうと予想がついていたので、私の上司は、子どもがまだ小さいから転勤を遅らせてやろうかと言ってくれたのですが、どうせいつかは転勤するんだからいいや! って、思い切って行くことにしたんです」

島根に「子連れ単身赴任」をした
写真提供=村木厚子さん
島根に「子連れ単身赴任」をした

当時の労働省では、子どものいる女性を地方に転勤させる場合、夫婦どちらかの実家に近い勤務地となるようにできるだけの配慮をしてくれていたが、村木さんの実家は高知、夫の実家は北海道。島根とは無縁だった。

「島根では、女性の子連れ赴任など例がなく、空前絶後と言われましたが、私が赴任してから、島根の労働基準局では前例のなかった女性職員の転勤が行われるようになって、転勤を経験した女性が昇進をするようになりました。ですから空前ではあったけれど、絶後ではない。後が続いたんです」

島根では保育所もすぐにみつかり、職場の同僚にも恵まれて、職場の飲み会には幼い娘さんも必ず呼ばれたという。

「飲み会があると、早く保育所に行って連れておいでってみなさん言ってくれて、とてもかわいがってくれました。ある日、ビアガーデンの提灯を目にした娘が、『あれがママの職場だよね』と言ったのには驚きましたけれど(笑)」