反旗を翻した人物に角栄が送った意外な言葉
普通の政治家であれば、自分に弓を引いた人間を許すことはない。だが、角栄は普通の政治家ではなかった。秘密裏に面会を求めた河野氏を受け入れただけでなく、新党結成をこう評価してみせた。
「新党には必然性がある。しっかりやれ。ただし6人じゃ少ない。次の選挙はどうする。俺が幹事長だったら15人はつけてやるところだが……。6人しかいないのだから、毎日朝昼晩と一緒に飯を食え。できるだけ一緒にいることだ」
「政敵」の肩を叩き、激励した角栄――河野氏はこの日のことを「絶対に忘れることができない」と回想している。
もっとも、角栄は周囲にこう語っていた。
「洋平君は、必ず自民党に戻ってくる。俺は信じている」
的中した角栄の予言
角栄の予言は的中した。新自由クラブは内部分裂を経て1986(昭和61)年に解党。河野氏は自民党に復帰した。だがその前年、脳梗塞に倒れていた角栄は、このときすでに政治生命を失っていたのである。
田中角栄元首相が死去した1993(平成5年)12月16日。東京・目白の私邸には旧田中派の国会議員をはじめ、政財界の要人ら数百人が弔問に訪れたが、田中家から遺体との対面を許されたのは3人だけだった。
その3人とは、当時の細川護熙首相、土井たか子衆議院議長、そして河野洋平自民党総裁である。厳密には、土井氏と行動をともにしていた鯨岡兵輔・衆議院副議長を含めた4人の議員だけが、角栄のなきがらを前に手を合わせることができた。

