角栄の葬儀委員長をつとめた河野洋平
角栄の葬儀委員長をつとめたのも河野氏である。弔辞の冒頭ではこう述べた。
「私は去る16日午後、先生が何よりも好きだといわれていた自由民主党の、かつてその主であられた総裁室で、悲しいご逝去の知らせを聞きました」
そしてロッキード事件、自身の過去の自民党離党・復党に言及するなど、弔辞としては異例の内容が盛り込まれた。「金権政治」をめぐる両者の相克は20年近い歳月を経て、総括されるに至ったのである。
河野外相の後任は眞紀子氏に
1993(平成5)年の衆院選で初当選を果たした眞紀子氏はその翌年、新人議員ながら村山富市内閣において科学技術庁長官に抜擢され、話題を呼んだ。
2001(平成13)年には小泉政権で外相に就任。河野氏は1980年代に科学技術庁長官をつとめており、また眞紀子氏の前任の外相も河野氏だった。
「僕のあとばかりついてくるなよ」
河野氏は冗談を言いつつも、眞紀子氏に外交の要諦を懇切丁寧に教えたという。長きにわたり衆議院議長をつとめた河野氏は2009(平成21)年、自民党所属議員として政界を引退した。
河野氏の死去によって、昭和政界の残像はまた薄くなった。
折しも若き日の河野氏が自民党を飛び出す契機となったロッキード事件から、ちょうど50年の節目を迎えようとしている。泉下の角栄と再会した河野氏はいま、何を語っているのだろうか。



