実は政治には淡白だった家系

意外なことに、麻生家はもともと政治に前のめりな一族ではなかった。太吉も、御三家を組んだ安川敬一郎も、経済人としての動き方は突出していた。

麻生太吉
麻生太吉(写真=日本工業倶楽部『会員追悼録』/国立国会図書館デジタルコレクション/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons

1年の多くを東京や大阪で過ごし、政官界の要人や中央財閥と渡り合い、遠賀川の改修や石炭輸送のコスト改善を働きかけて回る。だが、その奔走はどこまでも事業を伸ばし、地元に利を落とすためのもので、政治の表舞台へ自ら踏み込むことには、むしろ及び腰だった。

それでも業界や郷里から推されて議席に就き、国家の権力と関わりながら、本業を太らせ、ついでに地元を潤していく。安川が後の九州工業大学や安川電機の母体を築き、麻生がセメントから教育・医療事業などいまの麻生グループへと手を広げたのも、その流れのなかにある。彼らはまず産業人であり、政治家であることは、その次にすぎなかった。