極右の象徴ジャン=マリーの正体
創設者のジャン=マリーは、フランス政治における極右の象徴的存在です。1928年にブルターニュ地方で生まれ、若くして軍務に就きインドシナ戦争や中東戦争、アルジェリア戦争への従軍も経験しています。その後、政治の世界に入り、1956年に国民議会議員に初当選しました。
1972年に国民戦線を結成してからは、党首として「普遍主義」を公然と批判し(この時点で、フランスにおける「極右」の定義と合致します)移民排斥や治安強化、強いナショナリズムを掲げて精力的に活動。彼の政治スタイルは挑発的で、しばしば反ユダヤ的発言や差別的言動によって国内外から激しい批判を浴びましたが、同時にフランス社会における移民問題や文化的アイデンティティの議論を政治の中心に押し上げる役割を果たしました。
炎上商法でのし上がった政治家
彼の挑発的な性格を象徴するものとしては、1987年にホロコーストを「第二次世界大戦の歴史における些細なこと」とした発言があります。当然、これは国内外から激しい非難を浴び、裁判で有罪判決まで受けたため、党のイメージを大きく損なう結果となりました。しかし、彼自身は「言論の自由」として譲らず、対立を恐れない姿勢を貫き、その後も同様の発言を繰り返しています。
このように、彼は常に「物議を醸すことで存在感を示す」タイプの政治家でした。今日でいうところのいわゆる「炎上商法」です。
その他にも、第二次世界大戦中のナチスによるフランス北半分の占領は「特に非人道的ではない」と主張したり、アフリカからの移民がフランスを「沈没させる」と警告したりするなど、「あえてリベラルな空気の強いフランス社会の“常識”に異議申し立てをする」スタイルでコアな支持を拡大していきました。



