雪山、砂漠、密林、海がつくる「鳥かご」

中国大陸(特に漢民族の居住エリア)は、地政学的に見ると、驚くほど「閉鎖された空間」です。

まず、西を見てみましょう。

そこには、世界の屋根と呼ばれる「ヒマラヤ山脈」と、広大なチベット高原がそびえ立っています。さらに北西には、一度入れば生きて出られないと言われる「タクラマカン砂漠」と、ゴビ砂漠が広がっています。

南は熱帯のジャングルに覆われ、東は果てしない「太平洋」です。

つまり、中国文明の発祥地は、雪山、砂漠、密林、海という、人間を拒絶する「天然の壁」によって四方を完全に塞がれた、巨大な「鳥かご(盆地状の閉鎖空間)」の中にあったのです。

広大で肥沃な土地が巨大都市をつくった

この「鳥かご」の外側には、同レベルの文明が存在しませんでした。

インド文明とはヒマラヤで、メソポタミアやエジプト、ギリシャとは砂漠で隔絶されていました。シルクロードを通じて西域とは細々と交流はありましたが、基本的には、中国人は「自分たち以外の高度な文明」を知らずに育ちました。彼らにとっての世界地図は、

「壁の内側(自分たちの世界)」と、
「壁の外側(人の住めない不毛の地)」

の二つしかありませんでした。

比較対象がいなければ、自分が一番だと思うのは当然です。この地理的な孤立こそが、中華思想の温床となったのです。

そして、この閉鎖空間のど真ん中に、奇跡のような場所が存在しました。

黄河の中流域から下流域にかけて広がる、広大な平原。これを「中原ちゅうげん」と呼びます。

中原は、ただ広いだけではありません。圧倒的に肥沃でした。

黄河が運んでくる黄土(栄養分を含んだ土)のおかげで、肥料がなくても作物が育ちました。古代世界において、この中原の農業生産力は、周辺地域と比較して文字通り「桁違い」でした。