町工場の名を世に広めた「富士山グラス」
田島硝子は1956年、田嶌社長の祖父がガラス工場の番頭を経て独立し、工場を借りて創業した。半世紀以上の歴史を持つが、実は東京に現存するガラス工場の中では最も若い。
現在はグラス製品のOEM(相手先ブランド製造)を主軸に、国や東京都指定の伝統工芸品「江戸硝子」や「江戸切子」の自社製品の製造も手がける、売上高約9億円、従業員50人の町工場だ。
その田島硝子の名を世に知らしめたのが、2015年に発売された「富士山グラス」だ。開発のきっかけは2013年、富士山が世界遺産に登録された際にあるホテルから受けた依頼だった。外国人客にもひと目で使い方がわかるよう、オーソドックスなロックグラスの底に富士山を配置するというデザインが生まれた。
注ぐ飲み物によって山肌の表情は千変万化し、ウィスキーなら夕日に染まる琥珀色の富士、カンパリなら見事な赤富士へと変化する。日々の晩酌に絶景をもたらしてくれるこのグラスは、観光庁長官賞を受賞し、大ヒット商品となった。
東京日本橋にある創業123年の総合卸売企業「エトワール海渡」は、発売当初から富士山グラスを仕入れて国内外の小売店向けに販売してきた企業の一つだ。観光土産市場に強みを持つエトワールの販路を通じて11年間で累計約2万個を売り、グラスウェアとしては稀有なロングラン販売を記録している。
最近ではインバウンド需要の高まりを受け、定番として細く長く売り続けていた商品に再び火がつき、海外の小売店からの注文も増加。現在では取扱量のうち海外販売が全体の約2割に届くようになったという。
1日2500個を手作りする
今回、実際に工場を訪れてみてわかったのは、田嶌社長のその達観した姿勢の裏に、緻密に管理された盤石な製造現場の存在があるということだ。
工場に一歩足を踏み入れると、肌を刺すような熱気と研ぎ澄まされた空気感に圧倒される。オレンジ色に輝く1500度の「連帯窯」を取り囲むように、汗だくの職人たちが長い鉄の竿を操っている。溶けたガラスを巻き取り、膨らませ、次々と成形していく。
工場内には5つのチームが配置され、1チーム3〜5人の職人が絶妙な連携で流れ作業を行っている。彼らに与えられた時間は、ガラスが冷え固まるまでの「わずか1分弱」。
その限られた時間の中に、ガラスの厚みを均一に保つ「肉回り」や、ワイングラスの脚を美しく引き出す「足引き」といった繊細な成形技術が、淀みなく組み込まれている。同規模の他社が1日1000個に満たない生産量で限界を迎える中、田島硝子は工場全体で1日およそ2500個ものグラスを安定製造してのける。
この体制を支えているのが、多品種を扱う高度なマネジメント力だ。各チームが午前と午後で品目を切り替えるため、1日に約10種類ものグラスが同時並行で製造されているという。


