「冷蔵庫がわり」の店からコンビニ大国は生まれた
セブン&アイ・ホールディングスの鈴木敏文名誉顧問が、5月18日に心不全で亡くなった。鈴木氏は日本にコンビニ業態を定着させた最大の功労者であり、メディアも称賛一色でその死を悼んでいる。ただ、功績が100ある一方で、20ほど減点すべきところもあった。誰もそのことを指摘しないのはバランスに欠ける。あえて今回は「光と影」の影の部分にも触れてみたい。
まずは光からだ。鈴木氏の功績を一言で言えば、コンビニ業態を日本で独自に発展させたことである。セブン-イレブンはアメリカ発祥のコンビニチェーンだ。1973年、イトーヨーカ堂の伊藤雅俊氏がサウスランド・カンパニーから日本での運営ライセンスを取得。新事業の担当者として指名したのが、当時取締役だった鈴木氏だった。
今でこそアメリカのセブン-イレブンは日本と大差なくなったが、私がアメリカにいたころは道路端で駐車場がありスーパーに行く時間のない人が駆け込む「新聞と避妊具を買うところ」などと揶揄される存在で取り立てて便利ではない業態だった。アメリカでの業態をそのまま日本で展開していたら、今ほどは広がっていなかっただろう。
鈴木氏は、コンビニの商圏を半径250メートルに設定。単身者が冷蔵庫がわりに食品を買う店として位置づけて、おにぎりやお弁当を充実させた。さらに24時間営業を標準化。このモデルが、残業で夜遅くまで働くことがあたりまえだった都市生活者にウケて広がっていった。また郊外ではバカでかい駐車場をつくってトラックなどの運転手が用を足したり食事をしたり仮眠をしたりできるようにした。こうした日本独自のコンビニ文化をつくっていったのは、大きな功績である。
もう一つ、80年代に野村総合研究所や日本電気(NEC)と組んで、日本で初めてマーケティングへの実用化を目的としたPOSシステムを構築し、棚割りや発注を数値で単品管理するようになったことも画期的だった。メーカーが力を入れている商品でも売れなければすぐ棚から外されるため、メーカーと小売りの力関係が逆転した。
商品の単品管理ばかりではない。鈴木氏は店舗を自ら巡回するタイプの経営者ではなかった。コンピュータからプリントアウトした各種数値を見ながら経営判断をしていた。いわばデータドリブン経営の先駆けであり、その点でも新しい時代をつくった天才経営者だった。
足を向けて寝られないのになぜ創業家に牙を剝いたか
これらの輝かしい功績に隠れているが、鈴木氏には惜しい点が一つあった。創業家との関係が良くなかったのだ。
伊藤氏は鈴木氏に優るとも劣らない名経営者だった。実はマッキンゼーのころ、イトーヨーカ堂の仕事をもらおうと伊藤氏にアプローチしたことがある。その縁で仲良くさせてもらっていたが、結果的に仕事には結びつかなかった。なぜなら、自社が何をすべきかという構想を自身でしっかり描いていたからだ。会社にお邪魔すると、伊藤氏はいつもA3用紙を広げて私に見せてくれた。その用紙には自社に加えて米ウォルマート、仏カルフール、そして日本のダイエーといった競合の店舗数や売上高、資産などの経営指標が手書きで書いてある。それを示して、自社のどこに優位性があるのか、逆に自社に何が足りないかを語るのだ。
GMS(総合スーパー)の雄だったダイエーの創業者、中内㓛氏とは対照的だった。中内氏は徹底した現場主義で、自ら店に足を運んでマイクロマネジメントする。中内氏に誘われて同社が開業したレストラン「フォルクス」でご馳走になったことがあるが、その場で末端のスタッフを叱りつけていて居心地の悪い思いをした。
それに対して、伊藤氏は数値をあげて大きな構想を語るタイプだった。ダイエーには規模で水をあけられていたが、「ダイエーは立地重視で、いい場所があれば借りてでも店を出す。うちは資産重視で土地を取得。地価は上がるから、長い目で見ればそれが強みになる」と話していた。実際、バブル崩壊までは目論見通りに資産が伸び、それを担保に攻めの投資ができていた。
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