細木が得た利益は9億5000万円以上
とすれば、島倉を抱え込んだ3年間で、細木はおおよそ7億5000万円をかすめ取った勘定になる。
「いや、それだけじゃない」と前出のコロムビア関係者が言葉を継ぐ。
「島倉は細木のところから逃げ出し、興行権の仕切りもコロムビアに任せた。この時、細木は『こっちは島倉に興行権も返すんだから』と、コロムビアから2億円を別にもぎ取っている」
つまり細木は島倉がらみで合計9億5000万円以上を稼いだことになる。
しかも細木は島倉千代子が持っていた赤坂7丁目の高級マンション、赤坂パークハウスの1室も横取りしている。バブル期には18億円もの値がついた5LDKの高額物件を競売でわずか1億5600万円で入手したのだ。
島倉千代子は細木数子のためにこれほどひどい目に遭っている。
なのに、細木と切れた後も、なぜ島倉は細木を非難しなかったのか。
この影には堀尾昌志という男の存在がある。
島倉は細木に同居を強いられる中で堀尾とでき、深夜、堀尾の寝ている部屋にそっと入り込んで堀尾の耳元で「おねえ(細木のこと)が全然お金をくれないの」などと訴えていたという。
やくざと天国で結ばれた
細木も2人の仲に気づいていて気が揉めていたのか、当時、島倉と堀尾が間違いをしでかさないよう、島倉の手足を自分の手足に縛り付けて寝たなどというエピソードをことさらに吹聴していた。
だが、島倉と堀尾の一件は、振り返ってみれば、細木が島倉からカネを絞る補助の役割、すなわち、島倉の弱みを握ってつなぎ止めるうえでプラスの役割を果たしていたことは間違いない。細木にすれば堀尾を怒る理由は何一つないわけである。
島倉にしても、堀尾を好きになり、懇ろになったのだから、細木に対して一種の疚しさがある。「あのとき私から持ってったお金返してよ」などとは言いにくい。
細木と堀尾の仲はこのころ一時冷えたようだが、堀尾の晩年、堀尾は細木の京都の豪邸を訪ねて、そのまま細木の世話になり、病身を養っている。あげくに墓まで細木家の墓の隣に建ててもらっている。
細木の生涯とは、まさしく、天国でまで結ばれるほどの、やくざと二人三脚で駆け抜けた一生だったといえよう。

