「赤坂のフィクサー」の家にかくまわれる
安部正明はもともと男気がある親切な男だった。
「よし、待ってろ。助けに行ってやる」
と返事し、コマ劇場まで出かけて救出、赤坂の自分の住まいに島倉を連れ帰った。
島倉は債権者たちに追われる身になった。そのため安部家では島倉がいることを外部に知られないよう部屋では小声で話し、夜も電気をなるべくつけないようにして、島倉をかくまった。
だが、島倉のコマでの公演はまだ終わっていない。安部は公演がラク(千秋楽)を迎える日まで連日島倉を送り迎えするつもりだった。
そういう安部家に現れたのが細木数子である。彼女も以前から安部家に出入りしていたひとりだった。
安部は若いころ鳩山一郎の選挙を手伝っていた。戦後しばらくの間、日劇のプロデユースなどを手掛けていたが、同時期に「特殊芸能団」を組織し、非営利で刑務所への慰問活動に従っていた。
安倍晋太郎、美空ひばりも繋がる「ミニフィクサー」
安部は「政界、芸能界、暴力団にパイプを持つミニフィクサー」とでも呼ぶべき人物で、各界の錚々たる人物も安部家に出入りしていた。政治家では福田赳夫、安倍晋太郎、春日一幸など。芸能界では美空ひばり、都はるみ、松尾和子、扇ひろ子など。やくざの世界では稲川聖城、稲川裕紘、石井進、浜本政吉、小林楠扶などだ。
こういう中に細木数子やその姉の弘恵、細木の内縁の夫、小金井一家総長の堀尾昌志も加わっていた。
島倉千代子は1955年「この世の花」でデビューしたが、作家の宇野千代から「応援してよ」と声を掛けられて以来、安部家に出入りしていた。
ちょうど島倉の騒ぎのころ、細木夫婦が安部家に遊びに来て、島倉の事情を知ることになった。細木はとっさに悪知恵が働いた。
「こっちは昼間何もすることがなく、遊んでるんだから、千代さんの送り迎えぐらいやるわ」と送迎役を買って出たのだ。
当時、細木夫婦はその日暮らしだった。赤坂にディスコ「マンハッタン」を開業していたが、細木が吹聴するようには儲かっていなかった。

