均一価格で売れた真のカラクリ
江戸の日本橋から南、京橋のあたりまでをさす「十九文横丁」と呼ばれる地名があった。(『江戸切繪圖』)俗称ではあるが、十九文屋が並んでいることから、そう呼ばれたのだろう。
京都では江戸後期天保の頃、冨小路通四条下ルに、こちらは立派に町構えの十九文屋「九文堂・清水屋次兵衛」があって、「小間物諸色手遊人形問屋、練人形、土人形、手鞠、小絵本、将棋駒」などを商っていたという。
店として存在が定着するためには、お得感が無くてはならないし、品質が悪くてもならないし、しかし利益はあげなければならず、おとしどころが難しいところだったのだろうと察せられる。
下駄、櫛、簪、煙管といった諸道具が、その値段で売れたのは、そのほとんどがリサイクル商品であったからで、売り手が目利きであれば、ただ同然の値段で仕入れることも、まあ可能だっただろう。
落語の『道具屋』ではないが、屑物として安値で引きとってきたものの中にも、目利きが見れば価値あるモノもあるものだ。百にひとつ、否、千か万にひとつの掘り出しもので店を支え、あとの屑の山をひと品十九文で売るとすれば、考えようによっては巧い商売……になるのかもしれない。
仕入れや工賃、人件費などの変動に右往左往し、200円、300円、500円の商品も並び、消費税を考えれば「100円ショップ」などという呼び名は有名無実なのに、未だに私たちは「100円ショップ」と呼び、そこへ行けば財布の紐が緩くなる。
近代文明の恩恵を受け、満遍なく教育を施され、パソコンやスマホで情報を欲しいままにしても、人間というものは数百年くらいでは、そうそう変わらぬものらしい。


