なぜ半端な十九文均一なのか
食べ物以外の値段均一店もあった。
そのはしりは享保(1716~1736)の頃。橋のたもとや、四辻、祭礼の場などに露店を出し、さまざまな物を十九文で売ったという。四文銭の時代に、二十文とキリのよい値段でないところが、かえってミソなのかもしれない。現在も、スーパーマーケットなどでは1980円とか298円という値段設定が多い。2000円、300円といわれるより、わずか20円、2円でも違うだけで、値段の印象は大きく変わる。
この頃十九文は、現在の感覚で500円強ほど。櫛や簪などの小間物や道具類、玩具や小刀まであったという。
刀、というと、武士の表道具で高価なものという印象があるが、太刀・大刀の類いはいざ知らず、小刀・脇差の類いには、いい加減なものもかなりあった。
帯刀は武士の特権だが、正装の際に小刀や脇差を身に着けるのは、庶民にも許された我が国の美風だった。
豊臣秀吉の「刀狩り」からのイメージかも知れないが、江戸時代、庶民が刀を身に着けるのはご法度だった、と誤解している人が多い。江戸時代、藩は250ほどもあり、その他、旗本なども鑑みれば数え切れないほどの封建領主がいたから、あえて庶民の一本差しを禁じた例も無くはないが、むしろそれは例外的なものだった。だから、小刀の類いは、ピンからキリまで、種々雑多に世間に出まわっていたのである。
たとえば、端午の節句の時に子供が差す、刃のついていない「稚児刀」がある。町人や農民が、旅する際に護身用に腰に帯びる「旅刀」は大抵なまくらだし、中間や小者といった武家奉公人が身に着ける、刀の拵えを模した木刀もあった。似たようなものに茶人が身に着けた「茶刀」があるが、こちらは同じ木刀でも数寄が凝らしてあって、しかるべき骨董屋などで求めるとえらく高価だが、知らない人が見れば、ただヘンテコな木刀に過ぎない。

