“500円ショップ”で人気だったのは…
十九文屋の人気商品は履物で、あつらえれば高価な下駄も十九文だった。とはいえ、あまり質の良いものではなかったらしく、「しょぼしょぼと雪へ踏んごむ十九文」なんて川柳が遺っている。割れてでもいるのか、水気がじわじわ沁みてくるような下駄だったらしい。
やがて「十九文見世にいなかが五六人」(『誹風柳多留』1774)という按配に、珍しがってカモにされるのはお上りさんばかりで、江戸者は鼻も引っかけなくなる。
『浮世風呂』や『浮世床』など、江戸の庶民の日常の面白さを巧みにとらえた滑稽本で知られる式亭三馬が、『式亭雑記』に書き残しているところによれば、文化六(1809)年の歳末から七年の春にかけて、路肩に小間物などを並べて「なんでも三十八文」で売る店が登場した。
現在も、100円ショップそれぞれの店内にテーマソングが流れているけれど、当時すでにコマーシャルソングまであった。
「なんでもかでもよりどりで三十八文 あぶりこかなあみでも三十八文 銀のかんざしに小枕つけても三十八文 端から端までよりどりで三十八文 漆塗りの木枕、塗り枕も三十八文 櫛、簪、煙管、ほうじ、玩具三十八文なり~♪」
「炙り小金網」というのは、火鉢などに乗せるドーム状の金網で、手ぬぐいなどを乾かすのに使う、いわば便利グッズ。
「小枕」というのは、木製の枕に乗せる、もみ殻やそば殻を入れた円筒形の袋をさす場合と、女性が髪を結う際にかもじに根として入れる芯をさす場合とがあるが、この用例では「銀の簪」ととり合わせてあるところから、後者だろう。
「ほうじ」は、枠に金網を張った、茶や胡麻などを焙じるための道具で、土製の焙烙よりも手軽に使える、これも便利グッズだ。
十九文よりも値段が上がっただけに、品質も少しは良くなり、バリエーションも増えたようで、評判になったという。
そうなると、ライバル業者の中には、価格を下げる者が出てきて、「なんでも十九文」に先祖返りする店も出てきた。価格競争はさらに続き、やがて「十二文均一」にまで下がったという。とはいえ、品質はガタ落ちだったのだろう。安かろう、悪かろうでは、矢張、客がつかない。しばらくするうちに値段は三十八文に落ち着き、呼び名だけは「十九文店」となった……という。

