城内に残されたわずかな遺構

淡河城の城内は、拍子抜けするほどシンプルだ。現在、櫓が立つ段丘の先端部が本丸だったと伝わるが、削平はされているもののそれだけ。唯一、南側は防波堤のように盛り上がった土塁になっているぐらいで、それ以外に戦いに備えた人工的な構造物は見当たらない。

本丸。左の木立上が土塁
撮影=今泉慎一(風来堂)
淡河城本丸。左の木立上が土塁
土塁上は平坦でそこそこの広さ
撮影=今泉慎一(風来堂)
土塁上は平坦でそこそこの広さ。ここ自体も曲輪の一つだった可能性もある

土塁を超えて裏側にまわると、横堀も並行している。ここだけは戦国時代の息吹を感じられる。しかしその先は、だだっ広い丘の上に農地が広がるばかり。周囲にはいくつかの曲輪が並んでおり、その周囲は似たような横堀が張り巡らされていたはずなのだが、それらしき痕跡は見られない。

土塁外の横堀
撮影=今泉慎一(風来堂)
土塁外の横堀。V字地形がよく残っている

なぜ秀長は淡河城を攻めあぐねたか

もちろん、後世によって改変された部分も多いはず。しかしそれにしても、望洋としている。崖っぷちの西や北側からではなく、南や東から攻め込めば、赤子の手をひねるように攻略できたのでは? と思えるほど。大軍なら力攻めで片付けられる気がする。

城域だったと思われる丘
撮影=今泉慎一(風来堂)
城域だったと思われる丘一帯

実はこの淡河城の戦いには、ある伝承がある。圧倒的な兵力差にもかかわらず、淡河定範が秀長を撃退できたのは、ある“奇策”を用いたからだという。