420年さまよった清姫の怨念
整理すると、そもそもは女性の怨みを蛇の姿に仮託した古代の伝説が、紀州にあるイザナミの墓の伝承地や、蛇を神として祀る一族、または地名などとつながり、そこから情念の塊となった毒婦・清姫が誕生した。そして人々はそうした物語に畏怖を抱く半面、その強烈なストーカー的資質を、興味本位に面白がった――。
あくまで推理に過ぎないが、こうした経緯を経て大衆好みの“ゴシップ”として成立し、長く語り継がれてきたのではないだろうか。
なお、清姫が焼き払ったという鐘は14世紀に再興し、道成寺に寄進された。銘には「正平十四年」と刻まれており、1359年頃だったとわかる。ところが鐘は叩いても濁った音しか出さなかった。近隣に災厄も頻発した。人々は清姫の祟りに違いないと恐れ、鐘を廃棄してしまった。
戦国時代、紀州を拠点としていた傭兵集団・雑賀衆が羽柴(のちの豊臣)秀吉に敵対した。雑賀衆は鉄砲を使いこなす強固な傭兵集団で、秀吉との戦いは現在放送中のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」でも描かれるだろう。
雑賀衆は天正13(1585)年に壊滅する。その際、秀吉軍が廃棄されていた鐘を発見し、戦利品として京都洛北(現在の京都市左京区)の妙満寺に持ち帰ったという。
平成16(2004)年、熊野古道が世界遺産に登録されたのを記念し、一度だけ鐘が道成寺に“里帰り”した。約420年ぶりの帰還だった。
同年11月、また妙満寺に戻り、今も同寺にある。



