未亡人から既婚者、若い娘へ
この架空の話の原型はどこにあり、何を意図していたのか、物語が完成するまでの経緯を追ってみよう。
まず、初出は長久年間(1040~1044)に成立した仏教説話集『大日本国法華験記』にある。この時点ではまだ清姫の名はなく、女は夫に先立たれた無名の「寡婦」(未亡人)だった。安珍にも名はない。ただ「若い僧侶」とだけ記されている。ただし、鐘に隠れた男を焼き殺すなどの大筋は同じだ。
次いで12世紀前半、『今昔物語集』に似た話が所収されたのを経て『道成寺縁起』が完成するのだが、『道成寺縁起』では当初、女は役人の妻、または役人の息子の嫁という設定で、つまり未亡人が既婚女性に変わっていた。
推定15世紀末頃には、和歌山の雨乞い踊りの歌に登場する。題名は『日高踊』。
『日高踊』には3歳の姫が登場し、旅の男から「大きくなったらお嫁さんにしてあげる」と冗談をいわれる。13歳になると再び男が現れ、今度は姫が「お嫁さんになる」と告げる。姫はずっと冗談を真に受けていたのだ。「これはまずいことになった」と、男は逃げた。逃してなるかと追いかける姫は、蛇に姿を変える。
十三なる年またとまられて そのとき姫が妻にならうと申された
それから山伏肝潰し日高川へ逃げられ あとより姫が追ひかけするよ 蛇になりて
『日高踊』の正確な成立時期は不明だが、歌詞に「京山伏」「女茶屋」など中世的な言葉があることから戦国時代の初め頃と考えられ、その頃には人妻から若い娘に設定が変わり、現在の「安珍と清姫」に近い形になっていた。
700年かけ「清姫」の名を得る
2人の名前が「安珍」「清姫」として定着するのは、安珍が1300年代前半の仏教史『元亨釈書』に初めて登場してからだ。一方の清姫はそれよりずっと遅く18世紀。浄瑠璃で父親の役人の名が清次とされたことから、「清」の字をとって清姫と名づけられたという。
清姫の名には異説もある。紀州にもともと砂鉄の採掘地を指す「洲処」という地があり、洲処がのちに「清」に転化。やがて「すが」を「きよ」と訓むようになり、自然発生的に清姫という名が生まれたともいう。
いずれにしても、初出の『大日本国法華験記』から18世紀まで約700年の年月を経て物語は醸成され、その間に怨みに駆られた若い娘がストーカーに変貌する物語が成立していった。
そして、そのスキャンダルさが大衆から強い支持を得て、清姫といえば女性ストーカーの代表格として有名になったわけである。

