「軍配者」と「軍師」のあいだ
ところで『軍鑑』には、勘助を「軍配鍛錬の者」と呼んでいる箇所はある。すなわち、「永禄4年に河中島合戦之時討死せし山本勘介(原文ママ)は、信玄公旗本に足軽大将の中、五人すぐられたる名人と云ひ、是も軍配鍛練の者なり」(巻二・品第七)と記されている。勘助は信玄の足軽大将の中で五指に入る優れた武将であり、同時に「軍配鍛錬の者」だったというのだ。
ここで言う「軍配鍛錬の者」とは、「軍配者」のことだろう。『軍鑑』は、勘助が吉凶の日取りを占う術に精通していたと記しており、勘助を合戦に際して日時や方位方角の吉凶を占う「軍配者」として造形していると考えられる。
ただし『軍鑑』は、勘助を純然たる「軍配者」としては描いていない。『軍鑑』は武田の代表的な「軍配者」として小笠原源與斎という人物を紹介している。
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