ニンジンをぶら下げられて走る馬と同じ
そういう事例を数多く診てきたので、高収入あるいは難関資格を手にするには「“いい学校”に入らなければならない」と親や教師が教え込んで叱咤激励することは、かなり深刻な副作用を伴うような印象を抱いている。
最大の問題は、未来のために現在を犠牲にしなければならないことである。先ほど紹介した不登校からひきこもりになった少年が典型だが、中高一貫の進学校に入るために小学生の頃から塾に通わされ、遊びたいとかサッカーをしたいとかいう欲望を犠牲にするよう強いられた。中学校に入ったら、今度は大学受験のために6年かけて準備をするよう言われ、勉強漬けの毎日を送ることを余儀なくされた。
「だまされた」という言葉が象徴しているように、教育に詐欺まがいの側面があることは否定し難い。詐欺呼ばわりはきつすぎるかもしれないが、塾や予備校などの教育産業に幻想ビジネス的な要素があることは誰もが認めるだろう。
うがった見方をすると、「今我慢して努力すれば、輝かしい将来が待っている」と教え込まれて頑張る子どもは、目の前にニンジンをぶら下げられて走るように仕向けられている馬と同じともいえる。
就活「勝ち組」でも安泰とは限らない
この少年は、中学校の段階でドロップアウトしてしまったが、無事に大学に入学できたとしても、今度は就職のため、あるいは大学院進学のための準備をしろと言われる。
昭和の頃は遊んでばかりいる大学生が大勢いたものだ。しかし、最近は就職活動が前倒しになってきている影響か、大学に入ったからといってホッとできるのは束の間まで、未来のために現在を犠牲にしなければならない状況が続く。
未来のために現在を犠牲にして頑張り、“いい学校” “いい会社”に入って成功した人、少なくとも傍目にはうまくいっているように見える人はたくさんいるだろう。だからこそ、親も教師もそういう道を歩むよう子どもに勧めるのだ。しかし、最近は、“いい会社”に入っても必ずしも安泰とはいえない。

