4女6男が生まれたが、早世した子も
琴子の孫・阪谷芳直著『三代の系譜』の巻末系図では、栄一の子どもを7男4女の計11人としている(★は千代の子、☆は兼子の子)。ただし、成年に達したのは4男3女で、かれら(およびその子どもたち)を総称して「渋沢七家」と呼ばれた。『柏葉拾遺』に記された生没年を拾っていくと、左記のようになる。
・長男★渋沢市太郎 (1862〜1862) 早世
・長女★穂積歌子 (1863〜1932) 穂積陳重の妻。宇多ともいう
・次女★阪谷琴子 (1870〜1925) 阪谷芳郎の妻。ことともいう
・三女★渋沢糸子 (1871〜1871) 早世。伊登ともいう
・次男★渋沢篤二 (1872〜1942)
・息子☆渋沢敬三郎 (1883〜1883?) 早世
・三男☆渋沢武之助 (1886〜1946)
・四男☆渋沢正雄 (1888〜1942)
・四女☆明石愛子 (1890〜1977) 明石照男の妻
・五男☆渋沢秀雄 (1893〜1984)
・六男☆渋沢忠雄 (1896〜1897) 早世
『柏葉拾遺』では兼子の長子・敬三郎の記載がない。一方、渋沢正雄の次女・鮫島純子は、その著書『祖父・渋沢栄一に学んだこと』にて、父親の正雄が栄一の四男で「栄一と後妻兼子の三番目の男の子」と記し、「兼子は結婚後、流産、新生児夭折が続き」、正雄の兄武之助が「三男」だと記している。「新生児夭折」が敬三郎なのであろう。
長谷川重三郎などの庶子もいた
なお、栄一には上の11人以外にも庶腹の子どもが数人存在した。中でも有名であるのが、第一銀行の「プリンス」として頭取に推され、三菱銀行との合併失敗で辞任を余儀なくされた長谷川重三郎である。かれは栄一の13番目の子どもだったから、「十三」をもじって重三郎と命名されたといわれている。その弟・遠四郎は「十四」をもじった名前だという(が、子孫は平岡円四郎にあやかって命名されたと聞かされていた)。
正妻の子どもを何人と数えるかによって、重三郎と正妻の子の間に何人の子がいるかが変わってくるのだが、少なくとも下記の7人が栄一の子どもだといわれている。栄一は還暦を過ぎてから子どもができてしまい、思わず「若気の至りで」と語ったとか……。長谷川重三郎は68歳の時の子どもなので、彼がその子どもなのかも知れない。
・娘 尾高ふみ (1871生まれ) 尾高次郎の妻
・娘 大川てる (1875〜1927) 大川平三郎の妻
・息子 星野辰雄 (1892生まれ) 星野錫の養子
・娘 安本つる (1897生まれ) 星野錫の養子、安本明治郎の妻
・娘 川崎まつ (1900生まれ) 星野錫の養子、川崎甲子男の妻
・息子 長谷川重三郎(1908〜1985) 公的には長谷川元の子
・息子 長谷川遠四郎(1913生まれ)


