2人の妻と妾、子供は18人以上

渋沢栄一には2人の妻と数人の側妻そばめがおり、先妻・千代(1843〜1882)との間に2男3女、後妻・兼子(1855〜1934)との間に5男1女をもうけた。早世した子を除き、通常、4男3女と数える。栄一は艶福家(=女性関係が華やか)で、この他に少なくとも4男3女の庶子が存在する。ただし、栄一の子孫によれば、同族会は嫡出子の子孫のみで構成されているようだ。

【図表1】渋沢家系図
出典=『財閥と閨閥

最初の妻はいとこ、結婚25年で死去

858(安政5)年、18歳で従姉妹の千代と結婚した。

渋沢栄一の最初の妻・千代
渋沢栄一の最初の妻・千代、『穂積歌子』(禾恵会)1934年より(写真=作者不詳/Public domain/Wikimedia Commons

栄一は幼少の頃より学識に優れており、従兄弟の尾高新五郎惇忠(藍香)のもと学んだ。「惇忠は幼児より学を好み、博覧強記、加えるに志士的風格を備えた人物であった」(『人物叢書 新装版 渋沢栄一』)という。

惇忠の弟・尾高長七郎弘忠は、剣道で身を立てるべく江戸に出ていたが、たまに友人をともなって実家に戻り、兄やその門弟らと開国論や尊王攘夷論を戦わせた。栄一もすっかり感化され、弘忠を頼って江戸に出たいと父に懇願した。栄一の父・市郎右衛門は、栄一が政治論や剣術に熱中して家業の農事を疎かにすることを憂えた。所帯を持てば、落ち着いてくれるだろうという期待を込め、尾高惇忠・弘忠兄弟の妹、千代を栄一の嫁に迎えたという。

千代の死後、1883年に栄一は伊藤八兵衛の長女・兼子と再婚した。