明治新政府の大蔵省で能力を発揮

翌1868(明治元)年10月に帰国。徳川家(16代・徳川家達いえさとが静岡藩主となったのにともない、静岡藩で「商法会所」という半官半民の企業を設立し、大きな利益を挙げた。その活動が認められ、1869(明治2)年11月、明治新政府の大蔵省租税正に任命され、大蔵大丞に出世したが、1873年に政府内部の意見対立のため、栄一は井上馨とともに退官。当時、大蔵省で進めていた銀行設立を民間の立場でサポートした。

1873年6月11日に第一国立銀行(のち第一銀行、第一勧業銀行を経て、現・みずほ銀行)が設立された。頭取には大株主の三井八郎右衛門、小野善助が就任(当時は頭取、副頭取が2人ずついた)。これとは別に「総監役」という職務が設けられ、同年6月12日に栄一が就任した。そして、2年後の1875年8月の役員改選で、栄一は頭取に就任し、名実ともに第一国立銀行のトップとなった。

旧第一銀行
旧第一銀行、1930年、東京都中央区(写真=建築學會/ PD-Japan/Wikimedia Commons

現・みずほ銀行など178社に参画

渋沢栄一は、第一国立銀行の経営に従事する一方、数多くの会社設立に参画した。