三女、四女は三井一族の地盤固め

一方、高棟の三女、四女は三井一族と結婚した。

菊地浩之『財閥と閨閥』(角川新書)
菊地浩之『財閥と閨閥』(角川新書)

三女・興子(1900〜1980)は1919年に伊皿子家9代・三井高長に嫁いだ。妹の礼子によれば、「姉の興子は伊皿子家の第九代高長のところへ嫁いだのですが、聞くところによると、高長が若い頃アメリカの学校へ行っていた時、小室三吉という三井物産の重役がアメリカへ行って『北家(総本家)の興子を〔嫁に〕もらわないか』とすすめたようです。誰が小室三吉に言ったのかはっきり姉は知らないといっていましたが、きっと父の意を受けて行って交渉したのだと思います」とのことである(『三井財閥の人びと』)。

四女・礼子(1905〜1989)は1924年に永坂町家九代・三井高篤に嫁いだ。高篤との結婚は「ままごとみたいな恋愛結婚みたいでした。とにかく高篤本人から申し込まれました。まずは、父のところに行くのです。私は十六歳の時に他の親類から〔縁談〕話がありました」。「ですから父は私をそこへ〔嫁に〕やろうとしていたのですよ。でもまだ数え十六でしょ。ですからいやだって、ダダをこねました。それでのちに高篤のところへ行ったのですよ」と語っている(『三井財閥の人びと』)。

長男は旧大名の侯爵令嬢と…

高棟の長男・三井八郎右衛門高公(1895〜1992)の夫人は、越前福井藩主の末裔で侯爵の松平康荘やすたか(1867〜1930)の長女・鋹子としこ(1901〜1976)である。

※としこの「とし」は「かねへんに長」

越前松平家は徳川家康の次男・結城秀康を家祖とする名門で、爵位も公爵に準ずる侯爵である。高棟夫人は伯爵家(富山前田家)の出身だったからランク・アップしたといえる。

松平康荘侯爵
高棟の長男が結婚した妻の父、松平康荘侯爵、1913年、『華族画報』(華族画報社)より(写真=作者不詳/Public domain/Wikimedia Commons

華族同士は幾重にも婚姻関係を重ねており、越前松平家と富山前田家は遠縁にあたる。松平康荘の叔父・竹屋春光(松平茂昭の四男)が公家の竹屋家の養子となり、公爵・山県伊三郎(山県有朋の甥で養子)の三女と結婚している。そして、伊三郎の長男・山県有道の妻が、前田利同の次女なのである。つまり、高公夫人(鋹子)は、義母(苞子)の姪(山県夫人)の義弟(竹屋春光)の姪にあたる。ただし、先述した通り、華族間で濃厚な婚姻関係が形成されているので、鋹子と苞子はたまたま遠縁になった可能性が高い。

【関連記事】
11体のラブドールと暮らし"正しい性行為"を楽しむ…「人より人形を愛する男たち」が奇妙な生活を始めたワケ
地方衰退の一番の原因は「人口減少」ではない…山口の超富裕層が「住民税43億円」をまるっと抱えて移住した理由
異民族に3000人の皇族が連れ去られ、収容所送りに…「戦利品」になった女性皇族たちがたどった悲惨な結末
「秀吉と一緒になるのがイヤ」ではない…お市の方が柴田勝家との自害を選んだ"現代人には理解できない"理由
「性犯罪者は全員死刑でいい」そう言って母は息子の性器に手を伸ばした…表に出ない「息子を襲う母」のリアル