トヨタで働きながら「ブックオフ」でアルバイト
トヨタに入社したときには、定年まで勤めあげるつもりだったと、黒田さんは言う。しかし、社内でアフターメンテナンス事業の立ち上げを経験し、自分で采配をもって物事を進めていく楽しさを、若くして知ってしまった。
「生意気ですが、早く自分の裁量で物事を動かせるようになりたいと思っていたんです」
だが、大企業でそれを実現するには、20年以上の月日と熾烈な出世競争をクリアする必要がある。
一方1990年代後半、起業を夢見る若者の注目を集めていたのは、インターネットを活用した事業だった。黒田さんが注目していたのは、その中でも当時まだ日本に未上陸だったオンライン書店「Amazon」だ。
そして偶然手に取った1冊の雑誌によって、黒田さんは32歳という若さで終身雇用制度の枠から飛び出していくことになる。
転機となったのは、1997年2月。リクルートが創刊した雑誌『アントレ』を偶然手に取ったことだった。そこで見たのは、ブックオフコーポレーション社長、坂本孝さんのインタビュー記事。そのとき黒田さんの頭の中で、アメリカのAmazonと日本の古本事業が一本の糸でつながった。
一度信じたら一直線、思い立ったら即行動。周囲があきれるほど粘り強いのは、起業家としての素質なのかもしれない。そこから黒田さんは、坂本社長の講演という講演に足を運ぶようになる。そしてその手法を学ぶべく、トヨタに在籍しながら土日は三重県四日市市にできたブックオフに通い、時給700円のアルバイトに明け暮れた。
日本のAmazonになる――。インターネットによる物販の可能性を確信していた。日本でその仕組みを構築するのは自分しかいない。
入社10年目、黒田さんは父親の制止を振り切りトヨタを退社した。
1998年にはブックオフの起業家支援制度第1号として株式会社ブックオフウェーブ設立。2000年には中古書等宅配買取・EC販売の「株式会社イーブックオフ(のちにネットオフ株式会社に社名変更)」を立ち上げ、起業家としての第一歩を踏み出した。
直後に、ITバブルの崩壊が来るとも知らずに。
「スモールカンパニーの社長では終わりたくない」
バブルの崩壊により、一瞬にしてソフトバンクグループはマイナス98.7%、楽天はマイナス94.8%まで株価が暴落。高まり続けた上場への熱は、一瞬で冷や水を浴びせられた。
黒田さんの会社にとっても、大きな打撃だった。実店舗を構えないネットビジネスとはいえ、在庫を保管する場所は必要だ。ITバブル崩壊直前に融資を受けて大きなリユースセンターを構えたばかりだった。売り上げは伸びていくものの、借金は一向に減っていく気配はない。
ベンチャーキャピタルから大胆な融資を受け上場した企業からも、上場廃止が多数発生。このことを教訓としてルールは厳しくなり、赤字のままでは上場の橋を渡れないようになっていた。
なんとか黒字化しなければ、上場はできない。黒田さんは再び上場に向け、まずは黒字化のために動き出した。
しかし、自分の裁量で仕事をするという当初の目的は、起業したことで叶ったはず。黒田さんはなぜここまで上場にこだわったのか。
「トヨタを若くして辞めて起業したのに、スモールカンパニーの社長では終わりたくない。もっともっと、大きな夢を見たかったんです」
黒田さんの瞼の裏には、トヨタ退社を泣いて止めた父の姿があったのだろうか。もしくは、すでに手の届かない高みまで昇り詰めてしまった同時代の「起業戦士」たちの亡霊か。

