理系受験生にも国語を課している理由

東大と京大の違いは、国語を見るとさらにわかりやすくなります。

まず興味深いのは、東大も京大も、理系受験生に国語を課している点です。数学や理科が得意な学生にも、あえて国語を解かせる。これは、単なる教養科目として国語を見ているからではないでしょう。

研究者にとって、言語化能力は不可欠です。

たとえば、物理の式を理解していても、その意味を他者に説明できなければ、研究成果を共有することはできません。専門知識を持っているだけでは不十分で、その知を文章として整理し、論文として発信し、他者に誤解なく伝える必要があります。

国語の試験は、思考の構造を文章として可視化する力を測る装置でもあるのです。

では、東大と京大の国語は何が違うのか。

東大の国語は、設問が比較的具体的です。「何に対するどのような心情か」「なぜそのように感じたのか」といった形で、受験生が読むべきポイントをある程度示してくれます。本文の構造を正確に読み取り、限られた解答欄の中で簡潔に説明する力が求められます。

一方、京大の国語では、「どういうことか」とだけ問われる設問が多く見られます。「適宜ことばを補いつつ」と言われても、何を補うべきかは自分で考えなければなりません。

東大は、本文の論理構造や語句、文法を精緻に読み解く力を重視します。いわば、「知の秩序を読む力」です。

京大は、本文の文学性や物語性を受け止め、自分の言葉で再構成する力を重視します。いわば、「知を生成する力」です。

同じ古文の問題でも、東大は「正確に読み、簡潔に答える」方向へ受験生を導きます。京大は「自分で補い、解釈し、言葉にする」余地を大きく残します。

ここにも、東大は「速く正確に処理する人」を、京大は「深く考えを展開する人」を見ているという違いが表れています。

何を入れ、削り、どの順番で書けば伝わるか

社会科目にも、両大学の思想の違いがよく出ます。

東大の社会では、文字数制限のある説明問題が多く出題されます。

「60字以内で説明しなさい」と言われたとき、受験生は知っていることをすべて書くことはできません。むしろ、たくさん知っている人ほど迷います。

何を入れるべきか。何を削るべきか。どの順番で書けば、最も伝わるのか。

東大が見ているのは、知識量だけではありません。持っている情報の中から、本質的なものを選び取り、短い言葉で構造化して伝える力です。

これは「編集力」と言ってよいでしょう。

知識を長く語ることは、ある程度勉強していればできます。しかし、短く語るのは難しい。短くするには、理解が必要です。どこが中心で、どこが周辺なのかを見抜けていなければ、削ることはできません。

東大の社会科目は、知識をたくさん持っている人ではなく、知識を圧縮して使える人を見ようとしているのです。

本の上の電球、ひらめきのコンセプト
写真=iStock.com/Bussarin Rinchumrus
※写真はイメージです

この力は、現代のビジネスでも非常に重要です。

経営陣への報告、提案書、プレスリリース、営業資料、会議の議事メモ。どれも、情報をそのまま並べればいいわけではありません。相手にとって重要な形に編集し直す必要があります。

東大が問う編集力は、まさに実務の中核にある力です。