店内に響き渡る鳴り止まない電話
2020年、今から5年前のゴールデンウィーク。焼肉と尾道ラーメンの“二刀流”の成功で繁盛していた「牛ちゃん尾道店」は、過去最高クラスの売り上げを記録していた。十数年前、店長就任時はいつ潰れてもおかしくなかったところから、少しずつ盛り上げてきた。
だが連休終盤のある夜、店内テレビに系列店舗関係者が起こした重大な交通違反を伴う交通事故のニュース速報が流れた。テーブルを片付けていた、当時店長を務めていた仁田雅也さん(45・現在)は手を止めてテレビ画面を凝視する。
「もう、全部終わった……」
事故とは全く無関係の仁田さんが、なぜそこまで意気消沈したのか。それは尾道という限定的な地域性もあり、系列店舗を知らない常連客に「仁田が騒動を起こした」と誤解されると予感していたからだ。
不安は的中。翌日は1日中店の電話が鳴り続いたという。「仁田ではない」といくら説明しても理解してもらえない。築き上げてきた信用が揺らいでいく。客が離れるかもしれない。仁田さんもスタッフも、不安で押しつぶされそうになっていた。
スーパーの社員が、「独立」を後押し
「仁田さん、独立しましょう」
騒動を知り、真っ先に声をかけたのは、中・四国で展開する地域密着型スーパー「エブリイ」の商人推進本部 産直統括マネージャーである羽原裕二さん(38)。羽原さんは以前から仁田さんの挑戦を後押ししてきた。
コロナ禍で外食産業が大きな打撃を受けた2020年。以前から牛ちゃんラーメンのファンだった羽原さんは「この味はスーパーでも絶対売れる」と仮説を立て、「エブリイの産直コーナーで販売してみませんか」と提案した。
店舗の味をそのまま届けるため、スープは濃縮せず、生麺で販売する形を協働で構築。加えてスーパー販売のための最低限の基準「保存性」「衛生管理」「陳列のしやすさ」と、個人店にはかなり高度な条件にまっすぐ向き合い、わずか3カ月で完成させた。
「牛ちゃん尾道店」の名前で販売した初日、300食を完売。実力ある商品と証明され、羽原さんの仮説は確信に変わる。その矢先に例の騒動が起きる。羽原さんはなぜ、「独立」を後押ししたのか。
「仁田さんの熱意と商品価値を考えたときに、ここで終わらせてはいけないと思ったんです。僕たちとしても、地域の“本物”をなんとかして残したかった」
当時の仁田さんはあくまで牛ちゃんの従業員で、“雇われ店長”の立場だった。このままでは、自ら育てたラーメン事業までも会社側に帰属してしまう。そこで羽原さんは「ラーメンの美味しさをこの地域にもっと広げたい」と考え、提案したのだ。
加工場の空き物件は製麺所が紹介してくれ、その場所を事務所住所にし、卸販売用のラーメン製造・加工業「吾一」として開業届を提出。設備を整えたのち、ラーメンセットを新しいブランド名「吾一」に切り替えた。
これがもう一つの行列店「吾一」立ち上げの始まりだった。



