大赤字に苦しんでいた広島県の焼肉店「牛ちゃん尾道店」。再建を託された元バイトの男性は二つ返事で店長を引き受けたが、飲食店の切り盛りは甘くない。当時、2人の子供のシングルパパでもあった男性はジリ貧の店を盛り上げようとあらゆる手を尽くした結果、今や押しも押されもせぬ行列店に。どのように成し遂げたのか。フリーライターの野内菜那さんが取材した――。(前編/全2回)
「ゴールデンウィーク(5月4日)の様子。11時の開店から18時までずっと行列状態が続いていた
筆者撮影
ゴールデンウィーク(5月4日)の様子。11時の開店から18時までずっと行列状態が続いていた

1日1080杯の絶品ラーメンを売る焼肉店

広島県尾道市に、1日最大1080杯のラーメンを販売する焼肉店がある。店の名は「牛ちゃん」、JR尾道駅から徒歩約10分の場所にあり、週末は名物・尾道ラーメンを求める客で長い行列ができる。地元はもちろん、東京、大阪、九州、さらには韓国・中国など海外からもはるばる押し寄せるという。

尾道ラーメンとは、一般的に「鶏ガラ・小魚ベースの濃口醤油スープ」に「豚の背脂ミンチ」を浮かせた、コク深い醤油ラーメンを指す。ライバル店が多い中、「牛ちゃん」の売りは、「巨大なチャーシュー」と「ひときわ大粒の背脂」だ。「こってり濃厚」に見えるが、後味が意外なほどあっさりしている、と女性客にも大好評だ。

このラーメンを打ち出したのは、同店オーナーの仁田にだ雅也さん(45)。

オーナーの仁田雅也さん
筆者撮影
牛ちゃんオーナーの仁田雅也さん(45)

牛ちゃんから50メートルほど離れた場所にある「吾一ごいち」も仁田さんが2024年8月にオープンし、牛ちゃんと同じラーメンを提供する。こちらも同じく行列だ。

1店舗で、1日最大1080杯。さらにお土産用のラーメンセットも発売以来好評で、地元スーパーや道の駅など3県20店舗以上で販売し、月3万食の売上実績を持つ。年商は2店舗合わせて約1億8000万円。今や押しも押されもせぬ、広島を代表する人気店の座を勝ち取った。

「吾一」のラーメンを求めて並ぶ人たち
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「牛ちゃん」から50メートルほどの場所にあり、同じ尾道ラーメンを提供する「吾一」にも行列が連なる

だが、最初から繁盛店だったわけではない。

もともとは地元客向けの夜営業の焼肉店で、一時は売上が低迷し赤字に。いつ潰れてもおかしくない経営状態だった。どうやって赤字焼肉店を異業種であるラーメン店へと変貌させ、成功に導いたのだろうか。

赤字店を立て直すために店長に

「牛ちゃん尾道店」が焼肉店としてオープンしたのは1997年のこと。仁田さんは高1のとき、同店でアルバイトを始めた。野球の推薦で入学した高校をすぐに退部し、父親と衝突したのをきっかけに1カ月間家出。ある日、知人から「近くにできた焼肉屋でバイト募集しとるよ」と声をかけられた。

高校3年間店でバイトし、卒業後は建設業など別の仕事に就いたものの、23歳で再び社員として牛ちゃんへ戻る。職場は尾道店ではなく、初代オーナーが経営する系列店舗で4年間修行した。

ところが、以前バイトしていた牛ちゃん尾道店は、来客数が年々少なくなり、売り上げは下降線をたどっていた。

「2006年当時の年商はわずか約3000万円でした。オープン当初は年商約1億2000万円の売上だったそうですが、9年で4分の1近くまで落ち込んでしまって。いつ潰れてもおかしくない状態のようでした」(仁田さん)

尾道を訪れる観光客は多いが、彼らは、昼に散策やサイクリングなどで観光した後、夕方には瀬戸内海のしまなみ海道に流れてしまうのだそうだ。

「牛ちゃん」の建物の裏は、風光明媚な尾道水道の風景が広がっている
筆者撮影
「牛ちゃん」の建物の裏は、風光明媚な尾道水道の風景が広がっている

閑古鳥の鳴く店内で客をただ待つだけ。それにもかかわらず、客が来ないからと営業時間が24時までのところ21時で閉めるなどし、夜の客すら取りこぼすような商売をしていた。当時の店長も、売り上げを立て直すための施策を全く打つことができなかった。

「赤字店舗を立て直してくれんか」

先代オーナーは、いわば弟子である元バイトの仁田さんに店長を打診した。系列店で働いていた仁田さんは当時27歳だった。