「尾道の飲食店は、昼が勝負」
夜営業が安定したら、次の課題は昼営業だ。
平日昼の売上は、1日平均8000円程度にしかならなかった。店を開けても、客の入りがほとんどない日もあった。開店休業状態だったが、祭りやイベントの日だけは違った。昼の売上が5万円と約6倍まで跳ね上がる。
「尾道は、絶対に昼を取らないといけん」
前述した通り、観光客は昼に動く。尾道ラーメンを食べ、夕方にはしまなみ海道方面へ流れていく。夜型の焼肉営業だけでは限界がある。
「牛ちゃんで尾道ラーメンを出したい」
実は仁田さんは、店長になった2007年ごろからラーメンを提供する構想を持っていた。
高校時代に牛ちゃんでアルバイトした後、一度離れて「尾道ラーメンいのうえ」で1年間働いた経験があったからだ。ラーメンづくりの現場を実際に見ているからこそ、「これはいける」という確信があったのだ。
尾道ラーメン専門店は今でこそ激戦区だが、当時はまだ5店舗ほど。観光客に対して店が圧倒的に足りない状態だった。需要を取り込める余地は十分あると見ていた。
だが、先代オーナーは「ラーメンなんかやったら、焼肉屋じゃなくなる」と首を縦に振らない。焼肉店主としてのプライドもあったのだろう。もしやるなら、尾道ラーメンというカテゴリーではなく、カルビラーメンやホルモンラーメンなど、“焼肉屋らしいラーメン”にすべきという考えだったのだ。
「いつか必ず(尾道)ラーメンをやる」。2年間説得し続けた。
200食完売“屋台ラーメン”の強行突破
転機は2013年11月3日。尾道三大祭りのひとつ「ベッチャー祭り」の最終日、仁田さんは勝負に出る。
「1日だけ、ラーメンをやらせてください」
「そこまで言うなら、1回やってみろ」
ランチ営業の売上が6倍以上になる“祭り需要”に、先代オーナーも乗っかった。
構想から6年、頭を下げて説得して2年。「必ず結果を出す、ここで失敗したら二度とラーメンはやらせてもらえない」。
店舗スタッフにも秘密で進めた。「絶対に反対されるから」がその理由だった。
ラーメンをやるにあたり、仁田さんはまず現店舗でできないこと、足りないことをすべて洗い出した。
スープの炊き方は当時「尾道ラーメンいのうえ」を経営する井上製麺所に教わった。仁田さんがスープを作り、麺を茹で、スタッフが具材を盛り付けるオペレーションと動線を最短設計。スタッフへの指示だけでラーメンが完成する状態を作り込んだ。
ラーメン用の設備もないから、コンロと鍋を借りた。丼も足りない。スープを教えてくれた井上製麺所やラーメン提供へのアドバイスをくれた「尾道ラーメン たに」が、使っていない丼を30個以上集めてくれたという。
「今あるものでどう回すかを、極限まで考えました」
こうして準備を整え、スタッフに「ラーメンをやる」と伝えたのは3日前。全員がポカンとしていた。
客への事前告知もなし。“屋台”をするかのごとく、当日「尾道ラーメン」の暖簾を掲げた。
迎えた11月3日10時。
途切れることなく客が並び、用意した200食はわずか4時間で完売した。仁田さんがずっと思い描いていた光景が現実化した。心のなかで何度もガッツポーズした。
「すげえな。そんなに売れるんか」。頑固だった先代オーナーも目を細めて、スープが余っているのを知るや「もったいないけえ、明日のランチでもやってみ」と言ってくれた。
その後すぐに平日昼、3時間限定でラーメン営業をスタート。1日目10食から始まり、毎日徐々に増え、すぐに100食に届いた。そして年末年始休暇がスタートした12月29日。店の前にいつもはない人影があった。30人もの行列ができていた。
話題は話題を呼び、人は人を呼んだ。翌日は開店してたった40分で売り切れた。「こんなにすぐ閉まる“ラーメン屋”があるか!」。客に怒鳴られた。
そのとき初めて仁田さんは気づく。「ワシらはもう焼肉店じゃない。尾道ラーメン店になったんや――」。



