「僕には牛ちゃんしか残ってなかった」

師匠の願いを、二つ返事で引き受けた。ただ、その頃、仁田さんは「人生のどん底」にいた。

20歳で結婚し、2人の子どもに恵まれたが、生活は困窮。手取りは20万円以下。それも家賃、食費、光熱水費などで瞬く間に消えてしまい、高校時代にバイト代でコツコツ貯めてあったのも含め330万円近くあった通帳の残額も底を尽きた。妻との関係も破綻し、ほどなく離婚。子どもを引き取り、実家に戻って父子家庭として暮らし始めていた。

父親からは「子どものことは全部お前がやれ」と言われ、保育園の送迎をこなしながら働いた。「毎日を回すだけで精一杯。あの頃の記憶、ほとんどないです」

そんな極限状態でも、店長就任の話を断ろうとは思わなかった。

「僕には牛ちゃんしか残ってなかったんです」

高1でバイトを始めて以来、牛ちゃんは仕事で何度失敗しても、未熟な自分を受け入れてくれた場所だった。恩があった。だから次は、自分が店を守る側になろうと思った。

牛ちゃんの焼肉
筆者撮影
牛ちゃんの、国産肉厚カルビ。脂が甘く、食べ応えある1品

飲食店なのにテレアポ→訪問営業

店長に就任した仁田さんが最初に考えたのは、尾道で働く人に店を知ってもらうことだった。店ができてから長い年月が経過していたが、知名度は今ひとつだったのだ。

ちょうど12月で忘年会シーズン。新聞折込を打つ資金的な余裕はない。そもそも当時の仁田さんに「投資して回収する」という概念はなかった。

「使える金がないなら、電話じゃ、と思ったんです。でも今考えたら、飲食店の店長が訪問営業って頭おかしいっすよね(笑)」

仁田さんは客がいない静かな店内で、タウンページを開き、車で来店できそうな地元企業や事業所を片っ端からメモした。約100件電話したうち、アポが取れたのは10件のみ。対面で話せる絶好のチャンスを掴んだ。

「名刺だけは絶対必要じゃ思うて作りました。信用になるけ」

焼肉店の店長が企業訪問して何を語ったのか。

夜は地元の人たちが焼肉と酒で一日の疲れをねぎらう店にしたいんです。来てもらえるなら飲み放題を30分延長します。ゆくゆくは、昼は観光客でにぎわう店にしたいと思うとります。自分にできることなら何でもやります。まずは一度店に来てください――。

仁田さんは、ひたすら頭を下げた。

その後、3社が宴会に利用してくれた。うれしかった。だが、一方で「100件電話してたった3社だけ?」と、店の魅力のなさを改めて突きつけられた。

悔しさをバネに「来てくれたお客さんを絶対につなぎ止めたい」と、2回目の来店客には自ら席へ出向いて一人ひとりに「また来てくれてありがとうございます」と声をかけた。

客から「店、ヒマなんか?」と聞かれると、仁田さんは苦笑いを浮かべて「いやー、ヒマなんです。誰か紹介してもらえますかね」と正直にこぼした。

すると客が別の客を連れてきてくれた。少しずつ客足が増えていき、1年もすると週末は満席になる日も。先代オーナーが別店舗の利益で補填していた赤字も、3年ほどで解消。店はようやく自走できる状態になった。