「ON対決」が実現するも…
チームの惨状に対する焦燥と苛立ちは、フロントとの関係にも波風を立てた。ドラフト会議での選手の指名方針などでぶつかった。強いチームを作るという共通の目的があっての衝突だったが、瀬戸山は鬱憤を募らせた王から「プロ野球の経験のない人にそんなことまで言われたくないです」と強い言葉を投げられたこともあった。
だが王は、湿った感情を決して引きずらない。険悪になったときでも翌日には何事もなかったように「どうもどうも」と挨拶を交わし、最終的にはフロントの意見を尊重した。
瀬戸山は言う。
「監督でありながら広報担当のような認識も持ってくださっていました。現場の指揮にとどまらず、われわれのリクエストに応じていろんなことをしてくださいましたし、ビジネスの部分での貢献も大きかった」
王の信念はやがてチームに浸透していく。就任5年目の99年にリーグ優勝・日本一。翌00年にリーグ連覇を果たし、ON対決を実現させた(このとき根本はすでに亡くなっていた)。長嶋巨人の前に苦杯をなめたが、どん底で喘いでいた弱小球団は、王という巨大な柱を中心に、着実に常勝軍団への階段を上り始めていた。
過去の栄光を捨てた王が作り上げたもの
ホークスが福岡へとやってきたとき、街に歓迎ムードが広がる一方で、地元経済界の反応は決して温かいものではなかった。強引な経営手法をとるダイエーに対する警戒感や不信感があったのだ。球団の披露パーティーに案内状を出しても、トップが顔を見せない企業が多かった。
その空気を一変させたのが、福岡ドームの完成と、それに続く王の監督就任だった。地元の有力企業の経営者たちによる「王友会」という後援組織が発足し、月に一度の会を開いては全力で王をバックアップするようになった。
「ホークスの長男になって思い切り暴れてほしい」
瀬戸山が有楽町のアピシウスで迫った日から、すでに32年の歳月が流れた。「東京しか知らない。巨人しか知らない」と固辞していた男は、過去の栄光を捨てて福岡の地を踏み、今や第二の故郷と呼べるほどの深い縁を結んだ。
瀬戸山は感慨深げにこう語る。
「王さんはホークスの長男どころか、パ・リーグ全体を引っ張る存在になってくださいました。86歳になられた今も、プロアマの壁をなくし、野球をする子どもたちを増やす取り組みまでされている。本当に頭が下がる思いです」
連日ドームが満員になる光景も、ホークスが福岡の地にしっかりと根付いた今の状態も、王のひたむきな情熱が作り上げたものだ。その王を九州へと導いた、瀬戸山の粘りの交渉。すべての原点は、男同士が酒を酌み交わし、言葉をぶつけ合った濃密な時間にある。




