問題を投稿するとお金がもらえる
第3回放送からはNHKアナウンサーの和田信賢が司会に代わり、徳川夢声は解答者に回ります。難問奇問を鮮やかに打ち返すゲストたちの博識ぶりが際立ち、和田アナウンサーの「ご名答!」という言葉は流行語にもなりました。
問題の投稿者には、番組で採用されると30円、ゲストが答えられなかった場合は50円の賞金が与えられました。番組の人気とともに問題の投稿も盛りあがり、1950年度には133万通(!)の応募が寄せられています。
当時は戦後間もなく、急激なインフレのさなかだったこともあり、賞金額はさらに上がっていきました。
ちなみに、当のNHK関係者はもともと、「話の泉」にこれほどのヒットを期待していなかったようです。
CIEラジオ課の週間報告書には、第2回放送の時点で「投書殺到。CIEラジオ課、NHK番組関係者の予測とは逆に聴取者はこの種の新しいタイプの番組を受け入れていると判断」と記載されています。
1947年2月の報告書では「クイズの熱狂(quiz craze)が日本を襲った」という表現が使われており、当時の流行ぶりがうかがえます。
今とちょっと違う「当時のクイズの問題」
せっかくの機会ですから、実際に出題されていた問題はどんなものだったかを見てみましょう。当時の問題をまとめた冊子には、以下のジャンル分けに沿って問題が収録されています。
どうでしょう。現代的な感覚のジャンル分けと大きく変わらないのではないでしょうか。ただ、問題そのものは、いまのクイズとはだいぶ違っています。とくに「一般」の項目を見てみると……
鐘の音を聞いても、場合によって、叉人によって、さまざまな感じをうけるけれど、次の場合に感じる鐘の音はどんな鐘でしょうか。
1.聞いてびっくりする鐘の音
2.晴々しく聞こえる鐘の音
3.名残惜しくる鐘の音
4.少数の人のみ残念に聞く鐘の音
5.壮厳に聞こえる鐘の音
出典:和田信賢編『話の泉 1』(青山書店、1948年)。引用にあたって漢字の字体や仮名遣いをあらためました。
とあります。答えは順に「半鐘」「平和の鐘」「出船の鐘」「話の泉の鐘のなったときの解答者」「葬式、教会等の鐘」。

