「クイズ番組の輸入」はGHQの施策だった
戦時下日本のプロパガンダに問題があったのは明白ですが、占領軍の情報発信もまた、一種のプロパガンダであることには注意が必要です。
「真相はかうだ」の冒頭はベートーヴェンの「運命」から始まり、番組内では、銃声、怒号、悲鳴などの効果音が駆使されました。
メディア研究者の太田奈名子は、番組で日本人同士の対話という形式が取られたのもまた、占領軍側の戦争観を浸透させるための巧妙な仕掛けであったと指摘しています。
とはいえ、「真相はかうだ」がすんなりと受け入れられたわけではなく、一部の聴衆からは強い反発がありました。ただの抗議だけではなく、NHKに対する爆破予告や、クリエイターに対する脅迫もあったといいます。
それまで信じていた常識がまっこうから否定され、それもいままで真逆の発信をしてきたNHKが放送しているというのですから、理解を拒む聴取者が出てきたのも不思議ではありません。
CIEはほかにも、ベストセラー「太平洋戦争史」を編纂したり、教育基本法の制定をはじめとする教育改革に深く参画したりと、多様な施策を組み合わせて戦後日本を方向づけしようとしていきます。
その施策のひとつが、「クイズ番組の輸入」でした。
日本初のクイズ番組がスタート
1946年12月3日、日本初のクイズ番組である「話の泉」の放送がNHKラジオで始まりました。この番組はたちまち人気を呼び、1964年まで18年にわたる長寿番組となります。
「話の泉」は、1938年に放送が始まったアメリカのラジオ番組“Information Please”をモデルに制作されました。
その後も、“Twenty Questions”の翻案である「二十の扉」(NHK、1947年~1960年)、“What’s My Name?”に範をとった「私は誰でしょう」(NHK、1949年~1969年)と、「輸入品」のクイズ番組が次々と放送を開始します。
これらすべての背景に、CIEによる助言がありました。
「話の泉」の基本的なフォーマットは、聴取者が投稿した問題を司会が読み上げ、それに対してゲストが答えを出すというシンプルなものでした。
問題はシンプルな一問一答よりも謎かけめいたものが多かったのですが、解答までの時間は10秒間と決められており、いまの感覚ではずいぶん短く感じられます。
とはいえ、ラジオ番組で無音の時間を作るわけにはいきませんから、そう長くシンキングタイムを取ることもできません。
ゲスト解答者に迎えられたのは、詩人のサトウハチロー、映画監督の山本嘉次郎、音楽評論家の堀内敬三……といった面々で、初代司会は元祖マルチタレントというべき徳川夢声が務めました。

