「学生みたいな人たちが来た」

構想を実現するには、物件の確保と地域の協力先づくりが欠かせなかった。開業にあたっては、Googleマップに印をつけ、手元の資料を持参しながら、候補となる物件を一軒一軒訪ね歩いた。

もともと民泊運営の経験があったことから、単に物件を借りるのではなく、その場所をどう使い、次にどう生かせるかまで見据えた設計と提案を行った。

長年シャッターを下ろしたままの物件のオーナーにとって、見ず知らずの事業者に貸し出すことへの抵抗は小さくない。

「宿泊客が来て近隣トラブルにならないか」「途中で撤退されて、また空き物件に戻るだけではないか」――そうした不安や懸念に対し、リスクをできる限り抑えられる条件と運営モデルを示しながら、一軒ずつ交渉を重ねていったという。

入浴や朝食といったホテル機能を地域のなかで補うため、銭湯や喫茶店などにも協力を打診した。ただ、商店街の2つの店に当時の話を聞くと、「最初は学生さんみたいな人たちが来たなという印象」と振り返る声があった。

歓迎でも拒絶でもない、戸惑いに近い感覚が「学生さんみたいな」という言葉の柔らかさの裏に滲んでいるように感じた。実態がよく見えないうちは、少し距離を置いて見ていたのだろう。それでも「何かあれば協力する」という気持ちはあったのかもしれない。いずれの店も、後にSEKAI HOTELと連携することになるのだ。

当時はその距離感を埋めるように、北川さんたちは地域との関わり方にも気を配っていた。

「『街のためにやっている』という姿を商店街の人たちに見てもらう必要があると考えて、スタッフがほうきとちりとりを持って商店街を掃除していました。昼ご飯も商店街のお店で買って、できるだけ地域にお金を落とすようにしていたんです」

こうした地道な積み重ねを続け、2018年にSEKAI HOTEL 大阪布施がスタートした。

SEKAI HOTEL 大阪布施の受付
筆者撮影
SEKAI HOTEL 大阪布施の受付

同時に、運営会社が創業時から行っていた「Social Good 200」を、布施でも取り入れた。これは宿泊料のうち200円を積み立てるもので、北川さんたちは積立金を活用し、空き店舗で地域の子供たちが異文化に触れ合えるイベントなどを開催。こうした交流によって、「ヨソ者」は次第に商店街に溶け込んでいくことになる。

「体験」だけでは人は集まらなかった

当初は「商店街に泊まる」という目新しさもあってテレビなどで取り上げられ、徐々に注目を集めていった。だが、2020年にはコロナ禍で営業停止を余儀なくされる。

「当時は運営も十分にできておらず、かなり暇でした。商店街の人たちと立ち話をする時間も多かったです」

大きな打撃を受けたものの、ホテルは短期的な黒字化よりも、ホテルの価値を高めることを優先し、「万博までは黒字化せず、赤字でもよい」という意思決定のもとで運営を続けた。

では、「わざわざ選ばれるホテル」とはなにか。

北川さんがその気付きを得たエピソードがある。SEKAI HOTEL 大阪布施を紹介した海外のインフルエンサーの投稿だ。

「約10万件の『いいね!』がついたんです。その投稿では、最初に『ここはシャッター商店街なんです』と入って、『それを解決した画期的な方法が、この街ごとホテルなんです』と話し始めていたんです。共通認識を持つために話し始めとして社会性の部分を入れないと、体験価値も上がっていかない。その点がすごく学びになりました」

この投稿が“10万いいね”を集めたのは、「楽しそうな体験」を伝えたからではなかった。「シャッター商店街という社会課題を、街ごとホテルにするという発想で解決した」という物語が最初にあったからこそ、見る人の共感を呼んだのだ。