作られた非日常ではなく誰かの日常

筆者はチェックインを済ませ、「やまじん」に足を運んだ。すると、首掛けパスを見た店の人が「SEKAI HOTELのお客さんだね」と声をかけてくれた。チケットと引き換えに、牛すじを使った少し甘めのコロッケをいただいた。その味を楽しみながら、ふだんなら訪れることのない商店街を歩いた。

食べ歩きチケットで引き換えた「やまじん」のコロッケ
筆者撮影
食べ歩きチケットで引き換えた「やまじん」のコロッケ
ふだんなら訪れることのない商店街を歩く
筆者撮影
ふだんなら訪れることのない商店街を歩く

その後ホテルに戻り、部屋に備え付けのオリジナル木桶を手に銭湯「戎湯」の大きな湯船へ向かった。パスを見せるだけで入浴することができた。翌朝は「池田屋珈琲 布施店」でモーニングを楽しんだ。チケットと引き換えにふわふわの厚焼き卵のサンドイッチと自家焙煎のコーヒーをいただき、ゆったりとした朝の時間を過ごした。

銭湯も喫茶店も、観光客向けに整えられた店ではなく、地元の人が普段使っている場所だ。特別に店の人たちと会話を交わしたわけではなかったが、作られた非日常ではなく、誰かの普段の営みに少しだけ混ざる。日常の営みの中に、宿泊者として一時的に入り込んでいく感覚――その新鮮さが、このホテルの魅力だと感じた。

「スタッフと関係ができたお店に『SEKAI HOTELとして提携しませんか』とお願いしています。連携している店舗は『食事』『土産』『体験』『入浴』など約100店舗で、8割は食事が占めています」

ここまでの体験をして感じたのは、「ホテル」というより「テーマパーク」に近いということだ。ホテルの施設内だけで完結するのではなく、パスケースやチケットによって宿泊客を商店街へと導き、食べ歩きや銭湯といった町での体験そのものを宿泊価値へと変える。

地元の人にとっては当たり前の日常を、宿泊者にとっての特別な滞在体験として再編集する。そこにこそ「SEKAI HOTEL 大阪布施」の独自性がある。

束ねると、価値が生まれる

こうしたホテルのあり方を構想したのが、SEKAI HOTEL 大阪布施の運営会社である「クジラ」の代表取締役、矢野浩一氏だ。

クジラは、2007年に不動産仲介業者として創業し、2012年からはリノベーション事業も展開。大阪に本社を構え、平均年齢29.0歳と若手が多く活躍する会社だ。

矢野氏は当初、使われていない不動産をリノベーションし、民泊施設として活用する事業も進めていた。しかし、民泊市場の拡大とともに差別化は難しくなり、価格競争に巻き込まれやすくなっていった。

そこで、宿泊という機能を生かしながら、それ以外の価値も提供できる事業へと発想を切り替えていく。矢野氏の着想の源になったのが、キュレーションサイトの仕組みだった。

既存の情報を集め、一つのテーマのもとで再編集することで、新たな価値を生み出す。その発想を不動産にも応用できないか。こうしてたどり着いたのが、個別の物件を単体で売るのではなく、複数の場所や機能を束ね、一つの価値として見せるという考え方だった。

その発想を具体化する場として、矢野氏が着目したのが商店街だ。宿泊機能を街のなかに分散させつつ、飲食店や銭湯など地域の営みを宿泊体験の一部として取り込みやすい場所だったからである。

矢野氏は、そうした条件に合う拠点を探した。立地や交通利便性、乗降者数、近隣大学の存在といった条件がそろいながら、土地の評価は相対的に低い。そんな伸びしろのある場所として選ばれたのが布施だった。