秘境に本格的な城を築いた理由
以上のように、赤木城はコンパクトながらかなり技巧的で、高虎の築城術をギュッと凝縮したような城だ。ではなぜ、高虎は石垣もふんだんに用いた凝りに凝った城を、このような山中の秘境に築くことになったのか。
秀吉が天下の覇権を握り、秀長が紀州を拝領した後の1586(天正14)年8月、この地で大規模な一揆が起こる。秀長は自ら北山へ向かい、一揆を降伏させる。さらに1587~89(天正15~17)年ごろ、秀長が家臣の高虎に命じたのが赤木城築城だった。目的は一揆の芽を完全に摘むことで、赤木城は降伏した人々も徹底的に弾圧するための拠点。ゆえにここまでの本格的な城が築かれたというわけだ。
赤木城のある北山地域は、古来より銅など鉱物を産出し、雨量が多く森林も豊かなため木材の産地でもあった。それらの利権を確実に手中にするために、単に降伏しただけでは許さず、徹底した弾圧を命じたのだろう。蓄財に長けていた秀長らしいエピソードだ。
秀長と高虎の主従関係に注目
北山一揆が「豊臣兄弟!」でどこまで描かれるか現時点では不明だ。赤木城築城を命じられた際、はたして高虎は「とんだ主君を持ってしまったな……」と思ったのか。あるいは「これは腕が鳴るわい」と張り切ったのか。
いずれにせよ、普請ソロデビューによって得られた経験と知識が、のちの「築城の名手」の原点となったことは間違いないだろう。訪れるのは大変だが、赤木城を見ずして高虎の、いや戦国の城を語るなかれ、だ。



