人間は一面では語れない。それは国民的人気作家も同じだ。トラベルミステリーの第一人者・西村京太郎さんは、鉄道や観光地を舞台にさまざまな殺人事件を描いてきた。評論家・佐高信さんは「西村にとって死は少年時代から日常だった」という――。

※本稿は、佐高信『昭和に挑んだ作家たち』(平凡社新書)の一部を再編集したものです。

8月15日を過ぎても終戦しなかった青春

西村にはオビに「ベストセラー作家が、自身の苛烈な体験を初めて明かす!」と書かれた『十五歳の戦争』(集英社新書)という著書がある。副題が「陸軍幼年学校『最後の生徒』」で、2017年夏に刊行された。

玉音放送を聞く日本国民(1945年8月15日午後12時)
玉音放送を聞く日本国民(1945年8月15日午後12時)〔写真=Japan's Longest Day(1968)/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons

15歳は数え年で、戦争が終わった時、西村は14歳だった。「フォーティーンの戦争」である。しかし、それだけにその精神に消えない傷として残った。5カ月間の陸軍エリート養成機関生活だったが、8月15日の後もすぐには帰宅できず、校長のこんな話も聞かなければならなかった。

「間もなく、日本占領のために、アメリカ軍がやってくる。もし、天皇陛下に対して、無礼なことをする時には、君たちは陛下をお守りして、アメリカ軍と戦うのだ。そのために、身体を鍛えるのだ」

そう言われて、体操や駆け足をやらされていたのである。

陸軍幼年学校では、分厚い軍歌集を渡されて、それを覚えさせられ、行進の時に歌わなければならなかったが、西村は辛かったという。

『十五歳の戦争』では、「生命惜しまぬ予科練の」とか、「手柄立てずに死なりょうか」とか、「勝たずば生きて還らじと」とかの軍歌の歌詞を挙げ、日本人は「死を気楽に唄う」と嘆いている。

柔和な笑顔を崩さずに、私にもこう語った。深刻ぶらずに話すから、凄みが増す。