最も嫌いな軍人
「今はひどい歌詞だと思いますけどね。そのときは、別に何とも感じていなかった。よくわかっていなかったんだと思うんですけどね。でも、『どうせ死ぬんだ』みたいなことを言うとかっこよかったんです。俺は怖くないぞ、と10代はみんなそうでしたね。死ぬことをいやだと言いにくいところもありました。そんな人は誰もいないから」
徴兵は17歳からだから、あと2年経てば西村は戦地へ行っていた。
西村は最も嫌いな軍人として開戦時の首相だった東條英機を挙げ、その「極端な精神主義と、極端に説教好きなところ」を糾弾する。
特に1941年に「戦陣訓」を作り、兵士だけでなく民間人にも押しつけたのが許せない。
「生きて虜囚の辱めを受けず」に縛られて、どれだけの人間が死ななければならなかったか。
「本来は、軍人のことなのに、民間人が、自分のことと考えて、サイパンや沖縄で何人も死んでいる。テレビのドキュメンタリーで、崖から身を投げて死んでいく若い女性の姿を見ると、私には、東條が殺したように思えてならない」
「東條のバカヤロー」
こう指摘する西村は、軍人には自死を強要した、と慨嘆する。
敵地に向かう時、海軍航空隊のパイロットはパラシュートを持って行かなかった。敵地上空で被弾し、パラシュートで降下すると捕虜になるから自決する。このため、ベテランパイロットが次々に戦死して日本の敗北を早めることになった。
戦時中に飛行学校へ行った東條が学生に、
「敵の飛行機が現れたら、どうやって落とすか?」
と尋ねた。
「戦闘機で向かっていき、機関銃で落とします」
と学生が答えたら、東條は、
「それでは駄目だ。精神で落とすんだ」
と怒ったという。
「笑い話のようだが、実話である」と西村は書いている。
それで西村は玉音放送の後、「東條のバカヤロー」と叫んだのだった。

