人が「不正」を犯すとき

つまりご主人は、美紗さんに彼の気持ちを正直に話しても、彼にとって大切なこと(健康、および彼のやり方で人々に貢献すること)を尊重してくれるとは思えなかったのです。

そんな状況の彼が、自分にとって本音で大切なことを得るには、会社のお金を横領するしかないと思えたのです。

ご主人を責め軽蔑している美紗さんも、もし、仮に彼女にとって本音で大切な娘さんたちを奪われないためにお金を横領することが必要になったら、横領するでしょう。

話を戻します。

私たちは誰もが、自分にとって本音で大切なことを得るために最善だと判断した行動をします。

嘘をつく(情報の一部を隠したり、誤った情報を伝えたり、会社のお金を横領したりする)ことが、そのために必要だと判断したら、嘘をつきます。

「嘘をついてはいけない」というのは、その私たちの本質に反する教えなのです。

そう教える人ですら、嘘をつくことが自分にとって本音で大切な物を守るために必要なときには嘘をついたし、今後もそういう状況になれば嘘をつくでしょう。

「いつも人に優しい人」など存在しない

「人に優しくしなければならない」について

私たちは、自分にとって本音で大切なものを与えてくれる人や、本音で大切なものを得る助けをしてくれる人には心を開き、接近し、優しくします。

反対に、自分にとって大切なものを奪ったり壊したりする人には心を閉ざし、遠ざけ、厳しくしたり冷たくしたりします。

それが人間の本質です。

聖人のようにいわれているマザー・テレサを例として考えてみましょう。

仮に私が彼女の存命中に、彼女が建てた孤児院にブルドーザーで乗り込んでその施設を破壊して回ったら、マザー・テレサは彼女にできることは何でもしてやめさせようとしたでしょう。

私に優しくすれば私が破壊行為をやめるかもしれないと思ったら私に優しくしたでしょうが、私を攻撃しなければやめさせることができなければ、攻撃したでしょう。

いつも人に優しい人など存在しません。

「人に優しくしなければならない」と教える人も、自分にとって本音で大切なものを得たり守ったりするために誰かに厳しくしたり冷たくしたりすることが必要だと判断したときにはそうしてきたし、これからもそうします。