道徳観の強い人ほど孤立する

「人を罪悪感で縛ることが必要だ」と信じる人ほど、いわゆる「悪いこと」をした人を激しく非難します。

あからさまに非難することもあれば、心の中で密かに非難することもあるでしょう。

つまり、そういうあり方が強い人ほど、他人に対して批判的になりがちで、共感的、理解的になることが難しいのです。

ですから孤立しがちです。

また、そういう人は、自分自身に対しても「ああでなければいけない」「こうでなければならない」と倫理や道徳を課しており、不自由です。

夫婦喧嘩
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しかも道徳律は、人間の本質に反していますから、自分もそれを破ったことが何度もあると無意識で知っています。ですから、道徳観の強い人ほど無意識の罪悪感をもっています。

しかしそれと同時に、正義感の強い自分は道徳的に優れている、という隠れた優越感ももっています。

そしてその優越感は、多くの人々への隠れた軽蔑心を生んでいます。

私たちは軽蔑している人に向けて、心のつながりを感じることはできません。道徳心は隠れた軽蔑心を生み、それが孤独を生むのです。

このように、道徳で人を裁く人ほど、他人への軽蔑心と優越感、および自分自身への無意識の罪悪感があります。

「他人に攻撃的な人」の本質

罪悪感の表れの一つとして、親や兄弟姉妹、配偶者など大切な人に愛と感謝を伝えることが恥ずかしくてできない、という気持ちがあります。

その気持ちはほとんどの人にあるでしょう。

多くの場合、大切な人への愛を止めてしまうのは、密かな罪悪感です。

例えば親に対して、普段は気付いていなくても「私はあのとき親にひどいことを言ってしまった」、「ぼくは良い子じゃなかった」、「親の期待に応えられず、がっかりさせてしまった」など隠れた罪悪感があるほど、申し訳なさ、自信のなさが先に立ちます。

古宮昇『自分を責めない生き方』(総合法令出版)
古宮昇『自分を責めない生き方』(総合法令出版)

すると、親の目を見て愛を伝え、「ありがとう」を伝えることに引け目を感じてしまいます。

私たちの本質は愛です。その愛を閉ざすほど、真の自分自身から離れて生きることになります。そんな自分を認めることはできませんし、喜びの少ない寂しい人生になります。

先ほどお伝えしたように、倫理観や道徳観が強く、他人に対して「悪いことをした」とか「けしからん」「情けない」等と激しく非難する人ほど、無意識のうちに自分のことも自らの道徳観の刀で裁いています。

つまり、他人に対して攻撃的な人ほど、無意識のうちに自分を裁き、罪悪感があるのです。

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